大田原城跡
武蔵からこの地へ移った大田原氏の資清のとき、天文14年(1545年)、本格的に築城された。高台の別名をとって龍体城。資清の孫晴清が小田原攻めに功あって近世大名としての地歩を固め、明治まで続いた。戊辰戦争には政府軍の会津攻略の拠点となった。現在は、土塁が残るだけで公園になっている。
佐久山城跡
本丸、二の丸など城の形がよく残っている。那須泰隆の築城。
御前原城跡
平安末期の典型的な平城で現在は本丸跡が城跡公園。
那須国造碑
日本三古碑(田胡郡碑、多賀城碑、那須国造碑)の一つ(国宝)。碑文は那須国造直韋提をたたえる公徳碑である。
侍塚古墳
下侍塚,上侍塚と呼ばれる前方後方墳で周辺には他に8基の古墳群がある。
黒羽城址
天正4年(1576)大関高増の築城。高増は、大関増次が大田原資清に滅ぼされたあと、大田原家から送りこまれた人物で、奇略縦横の活躍によって基盤を築いた。以来、近世外様小藩の大名としても無事に乗り切って明治維新を迎えている。黒羽城は大関氏一氏十九代がつづいた。◎大関増業(1782-1845)江戸生れ。黒羽藩主。財政確立のため養子に迎えられ、殖産興業に尽す。藩校を設け文武を奨めるが、改革半ばで隠退。◎大関増裕(1837-67)黒羽藩主。蘭学に通じ、兵制改革・新田開発に努め学問を奨励した。幕府でも重用され、陸・海軍奉行、若年寄を歴任した。
白旗城跡
大関増清が築いた山城址で原形をしのぶことができる。
高館城跡
那須太郎資隆が築いたという山城跡で景観がよい。
光明寺跡
芭蕉の句碑がある。