中山道 落合の石畳
落合の石畳は、明治以降荷車の往来には不都合なため一部取り払われました。昭和63年から平成7年の間に、旧状を留める3か所を含む約800mにわたり、長いあいだ木の葉に埋まっていたものを掘りおこし、石を敷きつめ復元されました。平成17年には特殊舗装により遊歩道として整備されました。そもそも石畳は 、急な坂道を大雨の水から守るのが目的でした。落合の石畳,本曽路の西入り口,芭蕉の句碑,藤村自筆の道標などがたつ。
岐阜県中津川市落合字新茶屋地内
(2) 中津川駅からバスで(北恵那バス「木曽路口」下車徒歩20分)
中山道
中山道69次の51番目に当たる太田宿は宿場町として発達した旧太田町を貫く街道。沿線には脇本陣,本陣門,石碑,墓碑が多い。脇本陣は旧街道の真ん中ほどにあり,江戸時代の名残をとどめる国の重文。また、中山道の三大難所といわれる「太田の渡し」があった場所としても知られている。
中山道(観音坂)
山から木曽川に張り出している絶壁を削りとった道で,「観音坂」と名付けられ,絶景ではあるが、当時は難所であった。
中山道
出格子の家々や脇本陣などが残っている。現在では東海自然歩道に組みこまれている。4対の一里塚が残っている。一部車両の進入が出来ない個所があるが、中山道で一番の難所であった当時の面影が残っている。
中山道
中山道69宿の中で最も大きな宿場大井宿。大井から大湫には西行峠を行く。
中山道
江戸時代の五街道の1つ。参勤交代や物資の輸送など重要な役割を果たした。多くの史跡、名所が散在し、皇女和宮の降嫁にも利用された。