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更新日:2011/11/08

大阪駅・梅田駅・福島・淀屋橋・本町

大阪駅・梅田駅・福島・淀屋橋・本町

文化施設 / 近代的建造物

イシハラホール

地下鉄四ツ橋線「肥後橋」駅5-B出口すぐ。座席数250席のシューボックス型コンサート専用ホール。シューボックス型は、音が壁や天井などさまざまな経路を通って客席全体にバランスよく到達し、心地よい音響を生み出すとされる。このホールでは、音量感よりも小ホールならではの自然で繊細な響きを楽しめるほか、客席は長時間快適なコンディションで過ごせるように横幅54cm、客席間隔95cmと余裕を持たせ、素材にも細やかな配慮がなされているそうだ。ステージの高さは60cmとやや低めに設定されているが、広さは十数人の室内オーケーストラのコンサートも十分に可能、それらに必要な照明吊物機構も備えている。毎月の主催公演があるほか、貸ホールとしても利用できるが、アコースティックな楽器を利用した音楽演奏のみが対象だ。

所在地
〒550-0002
大阪府大阪市西区江戸堀1-3-15 新石原ビル2F
交通アクセス
地下鉄四つ橋線「肥後橋駅」5号B出口すぐ、京阪・地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」4号出口より徒歩7分

水晶橋

水晶橋は、河川浄化を目的として昭和4年(1929)に堂島川可動堰として建設された。築造後50年余りが経過した昭和57年(1982)、汚れや痛みが目立つようになったため改装整備が行われ、「水晶橋」という名にふさわしい姿へ。本体のアーチとその上の9つの小アーチの組み合わせが、重厚さの中にも軽やかさを感じさせるほか、橋の上には植栽やベンチが設置され、ゆったりとした空間になっている。川沿いには、大阪市中央公会堂や府立中之島図書館など、大阪を代表する近代建築群が並び、散策にもよい場所だ。橋名の由来は、橋上の照明灯が水面に映り、その様子が水晶の輝きに似ているから、あるいは水都大阪の繁昌を願ってなど、いろいろな説がある。昼間は橋の絵を描く人の姿も多く見られ、夜間は美しくライトアップされている。

所在地
〒530-0005
大阪府大阪市北区西天満2丁目〜中之島1丁目
交通アクセス
地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」から徒歩で

肥後橋

土佐堀川に架かり、西区と中之島を結ぶ肥後橋。かつては橋の北詰の中之島に肥後・熊本藩の蔵屋敷(諸大名が年貢米などを納めるため大阪に設けた倉庫)があった。明暦3年(1657)の「新板大坂之図」には、「肥後殿橋」との表記がある。当初は木橋だったが洪水で流され、明治21年(1881)には渡辺橋とともに、イギリスから輸入した鉄橋へ、また大正15年(1926)にはスパニッシュルネッサンス様式の豪華なコンクリート製の橋へ、その後もさらに2度架け替えが行われている。現在の橋は平成6年に改装されたもの。移り行く時代の中で何度も甦った肥後橋は、いまもなお人々や車の行き交う、活気ある様相を呈している。

所在地
〒530-0005
大阪府大阪市北区中之島2〜西区土佐堀1
交通アクセス
地下鉄四つ橋線「肥後橋駅」下車すぐ

大江橋

大阪市庁舎北側を流れる、堂島川に架かる橋。もとは元禄年間(1688〜1703)、堂島市街地の開発によって新しく架けられた堂島川五橋(大江橋・渡辺橋・田蓑橋・堀江橋・船津橋)のひとつ。橋名は、万葉歌人の歌にも詠まれた地名に由来したという。明治43年(1910)、市電の開通に合わせて鉄橋に架け替えられた。現在の橋は第1次都市計画事業によって、南側の淀屋橋とともに改修工事がなされたものだが、大正時代当時としては、橋の改修としては珍しくデザインコンペが実施され、全国から意匠設計の応募があったもの。設計担当者に決まったのは大谷龍雄。橋長81.5m、幅員37.0m、上路充腹式、鉄骨鉄筋コンクリート造で4径間アーチ橋に、手摺りつきだった。昭和5年(1930)に着工、同10年(1935)に完成。その後、2度の改修が行われたが、ほぼ竣工当時の姿のままだという。橋の名板は関一市長の筆によるもの。

所在地
〒530-0047
大阪府大阪市北区西天満2丁目〜北区中之島1丁目
交通アクセス
地下鉄御堂筋線・京阪「淀屋橋駅」

錦橋

朝日フェスティバルホールの南側にある、歩行者専用の橋。橋長55.1m/幅員10.6m。もともとは昭和6年(1931)に、土佐堀川に架けられた土佐堀川可動堰で、橋の下には浄化用の水門があった。昭和60年(1985)に橋面の美装化整備が行われた際、「錦橋」へ改名。コンクリートアーチ構造のどっしりとした橋の上には、江戸時代後期から明治時代初期の橋を描いた錦絵のタイル焼きが飾られ、中之島の歴史を偲ぶことができる。

所在地
〒530-0005
大阪府大阪市北区中之島2丁目〜西区土佐堀1丁目
交通アクセス
地下鉄四つ橋線「肥後橋駅」下車 

川崎橋

大阪市北区天満と都島区網島町を結ぶ、大川に架かる自転車・歩行者専用斜張橋。橋が架かった場所には、江戸時代に天満川崎と備前島を結ぶ渡しがあり、付近に家康を祀る川崎東照宮や、町奉行所付御救米蔵として建てられた川崎御蔵、破損奉行屋敷、町奉行与力屋敷などが建った。明治10年(1877)、私設橋が架けられ通行料一人三厘を徴収したことから、「ぜにとり橋」と呼ばれていたらしい。この橋も明治18年(1885)の大洪水によって流失へ。現在の橋は昭和53年、中之島公園と千里万博公園を結ぶ大規模自転車道の一環として架設され、橋形式は高い塔からケーブルを出し、桁を吊った橋長129.2m、幅員3mの二径間連続斜張橋で、歩道橋として振動が少ないよう、また河岸公園地の橋として環境と調和するよう設計に配慮されたとして、土木学会から賞を受けている。この橋の近くで、春の造幣局桜の通り抜け、夏の天神祭船渡御などの行事が行われるため通行者も多い。

所在地
〒530-0043
大阪府大阪市都島区網島町〜大阪市北区天満1丁目
交通アクセス
京阪本線「天満橋駅」から徒歩で

鉾流橋

堂島川に架かり、中之島北岸(大阪市中央公会堂や東洋陶磁美術館付近)と西天満(大阪高等裁判所付近)を繋ぐ橋。毎年7月24日の朝、橋のたもとで天神祭の「鉾流神事」(川に神鉾を流し、その年の神霊渡御地・お旅所を決定する行事)が行われることから、この名前がついたそうだ。初めて橋が架けられたのは、大正7年(1918)とされているが、現在の橋は昭和4年(1929)に完成。高欄、照明灯、親柱など日本調にクラシックなデザインが採用されたのは、天神祭の鉾流神事が行われることを考慮したためと思われる。その後、戦争中の金属供出などによって、これらの高欄、照明灯は失われたが、昭和55年(1980)に中之島地区にマッチしたクラシックなデザインの高欄や照明灯、レンガ敷きの歩道などが整備され、現在に至っている。7月24日の「鉾流神事」が行われている約40分間は、普段閑静なこの橋も、橋上からの見物人で埋め尽くされている。

所在地
〒530-0047
大阪府大阪市北区西天満2丁目〜中之島1丁目
交通アクセス
地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」から徒歩で

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