黒江の町並み
黒江は漆器業を唯一の産業として、古くから発展してきた漆器の町である。その歴史は室町時代にまでさかのぼり、江戸時代に入って「紀州漆器」「黒江塗」と呼ばれ、全国的に有名になった。戦後の産業の近代化傾向は徐々に職住一体の形成から分離の方向を引き起こし、黒江の町並みも川端通りを中心とする街区から周辺に拡散するようになった。
嘉家作り丁
手を伸ばせば軽々と手が届く低い庇があるつくりです。これがいわゆる「懸作(かけづくり)」という建築様式で、地名の由来にもなっています。斜面を利用して建てられた独特の造りは、参勤交代で通る殿様行列を見下ろさないようにと配慮されたものです和歌山城城下町の大手門外にあたり、江戸時代初期、街道改修に伴い城下の外郭を防衛する要所となり、下級武士を住まわせたのが町並みの発端です。
根来
淡路街道から北上し根来寺境内に至るまで町家風のたたずまいを残し、主屋は平部を、付属屋は妻部を街道に面した配置とする。主屋は入母屋造ないし切妻造に下屋庇をめぐらせ、小規模な建物は切妻造とし、古い遺構は本瓦葺とする。観音橋南詰の付近は屋敷構も特に大きく、関連遺構も多数残されている。
和歌山県岩出市