高野山町石道
高野山へ通じる道7つあり、「高野七口」と呼ばれ、高野山町石道はその中のひとつで慈尊院から大門へ通じている。平安時代に弘法大師が高野山への道しるべとして、1町(約109m)ごとに木製の卒塔婆を建てたが腐食したため、各地の有志により花崗岩の卒塔婆を立てた。高野山大塔が1町石で慈尊院が180町石で180基、大塔から奥の院まで36基のほか里石等がある。また、高野山町石道は、世界遺産に登録されています。
大和街道
和歌山市京橋を起点とする大和街道は伊勢街道ともいわれ、江戸時代には参勤交代の街道として、また民衆の伊勢参詣道として利用された。
南海道
大化改新ののち大化2年の詔によって駅制が、官史・公使による中央政府と地方との緊密な交通・連絡・通信機関として創設された。かつらぎ町の背山は当時、「紀伊兄山」と記され、畿内の南境と山とされ有名であった。
高野街道(不動坂口)
高野七口の内庶民が登った裏街道の一つ。沿道には、名所・旧跡が多い。
高野山町石道
山麓の九度山慈尊院から大門までの表参道。平安時代、高野山開山のおり空海が木製の卒塔婆を建てて道しるべとした道。鎌倉時代になって、朽ちた木製卒塔婆に代え「町石(ちょういし)」と呼ばれる五輪塔形の石柱が1町(109m)ごとに建てられた。平成16年の世界遺産登録以降、この道を歩く人の数も増えており
不動坂
極楽橋から女人堂に登ってくる旧街道の一つ。