六時の鐘
福島正則が父母の追善のため元和4年(1618)に建立、しかし後年罹災したのを嫡男正利が寛永12年(1635)に再鋳した。以来高野山内の生活に刻み込まれた音韻は、歴史の流れの中に大きく息づいていた。鐘楼堂は、天保6年(1835)に再建された。
金剛峯寺不動堂
山内最古の建物で、八條女院の御願によって建久8年(1198年)行勝上人が建立した。もとは一心院谷にあったが明治41年(1908年)移築修理された。正面3間、側面4間の母屋の両側に1間の狭い室を設け、庇を伸ばしている。
ふれあいギャラリー双松舎(前田邸)
大和街道に面して格子を見せる主屋は江戸時代の町家。また明治時代に建てられた小座敷や大正時代に建てられた大座敷もあります。
地蔵寺五輪の塔
南北朝時代
金剛三昧院多宝塔
貞応2年(1223年)、政子が頼朝のために建立したと伝え、石山寺に次いで古い多宝塔である。3間4面、桧皮葺で外部は朱塗、内部の梁や柱には優雅な宝相華文を施し、鎌倉時代の五智如来を安置する。初層が低く、2層目はよく引き締まり整った姿を見せる。
大塔の鐘
真然大徳によって鋳造された直径2mの大きな鐘で、高野四郎と呼ばれている。
御廟橋
橋板が37枚あり、金剛界曼茶羅の37尊に因んだもので、これより先が聖域と崇められる。
町石
1町ごとに建てられた五輪塔形の町石率都婆