奥之院
弘法大師の御廟を中心とした高野山最大の霊域。一の橋から続く奥之院参道には、鬱蒼とした杉木立の中に武田信玄などの戦国大名をはじめ、鶴田浩二といった有名人など、20万以上の墓碑が並ぶ。参道を2kmほど進むと大師が入定している御廟に到着。14体の金仏が並ぶ水向場や灯籠堂、御廟などが静かに鎮座する。
壇上伽藍
「僧が修行する静寂の園」という意味を持つ壇上伽藍。高野山全体の総本堂である「金堂」や、高さ50mの多宝塔「根本大塔」などの建物が並び、高野山のシンボルともいえる。大塔正面にある「梵鐘」は、1547年に改鋳したもの。「高野四郎」の名で親しまれており1日5回、合計108つの鐘を鳴らす。
豊臣家墓所
信長につづいて秀吉も高野攻めを行なったが、高野山の木食応其上人の説得により高野攻めを中止、その後応基上人に帰依して高野山の復興につとめた。この墓地には、秀吉をはじめ母公、大納言秀長、同夫人の墓がある。
恋野中将姫旧跡
中将姫ゆかりの中将倉や糸の懸橋。布経の松・観音堂・雲雀山・福王寺・琴の淵などの名所旧跡も多い。中将姫の伝説が語り継がれています。(29歳で波乱の生涯を閉じた中将姫をしのべる。)
平和祈念像
万国戦没者の精霊を供養し、世界平和を祈念して昭和34年に着工、59年に完成した。和歌山県を代表する彫刻家、保田龍門の設計によるもので、胎内には世界各国から贈られた由緒ある小石を納める。高さ18mで奈良の大仏よりも高い。
三彩の壼出土地
昭和38年10月名古曽一里山のみかん畑から発掘された奈良時代の藏骨壺。現在国の重要文化財に指定され国立京都博物館に保存されている。奈良時代に中国の技術がわが国に伝来して作られ、長い年月を経ているにもかかわらず色彩や形が当時のままの姿を残している。
滝の井戸
清水が盛んに湧きでており、昭和30年代まで付近の飲料水として、また田畑の潅漑用水として利用されていた。平成11年度観光施設事業で整備され、庭園として人々の憩いの場となっており「紀の国名水」にも選ばれている。
仙陵
九天皇、皇后、皇族方の歯爪を祀る供養塔。
徳川吉宗の墓
法明上人の墓
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