都道府県別 観光地なび

更新日:2011/11/09

有田・御坊・日高

有田・御坊・日高

神社仏閣 / 神社・仏閣

道成寺

701年に創建された和歌山県に現存する最古の寺。国宝の千手観音菩薩、日光菩薩、月光菩薩をはじめ、数々の重要文化財が保存されている。能や歌舞伎で有名な「安珍清姫伝説」の舞台である。

所在地
〒649-1331
和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738
交通アクセス
道成寺駅から徒歩で

誕生院

文政7年(1824)の開基。念仏の大行者徳本上人が開山した。本堂は嘉永7年(1854)12月に紀州藩主徳川治宝の命により建立されたもの。上人の遺品、徳川ゆかりのもの多数あり。

所在地
〒649-1221
和歌山県日高郡日高町志賀(久志)2556
交通アクセス
紀伊内原駅から車で

得生寺

 得生寺は中将姫伝説の寺として知られています。奈良時代の天平宝字3(759)年に、時の右大臣藤原豊成卿の娘、中将姫が3年間隠れ住んだ所に、姫に仕えた伊藤春時が草庵を結び安養庵と称したのが最初といわれます。春時は西の真砂寺で剃髪して得生、妻は妙生と名乗りました。 平安時代の承平のころ(931〜937年)空也上人がこの地に行脚し、庵の所に一寺を建てて春時の法名に因んで得生寺と名付けました。その後、室町時代の文明年間(1469〜86)に梶取総持寺を創建した明秀光雲上人により、西山浄土宗に改宗され文亀年間(1501〜1503)に別所の谷は山奥で不便だからと、西里高井の後の的場に移転しました。この高井の後の的場は水難の恐れがあるため、永禄10(1567)年に宮代に移転しましたが、江戸時代に入り寛永5(1633)年に新田の西蓮坪に移し現在に至っています。 本尊の阿弥陀如来立像や当麻寺の玉誉上人より贈られたといわれている中将姫座像と伊藤春時夫妻像、それに天平宝字7(763)年歳次癸卯季夏6月23日の銘がある浄土曼荼羅図(当麻曼荼羅図の転写本か)、室町時代作の連刺繍三尊像(刺繍阿弥陀三尊来迎図)が祀られています。 毎年5月14日の中将姫の命日に行われる来迎会式の二十五菩薩練り供養は、和歌山県の無形文化財に指定されています。

所在地
〒649-0421
和歌山県有田市糸我町中番229
交通アクセス
紀伊宮原駅から車で

本朝最初稲荷大神社

 糸我稲荷神社の創建は白雉3(652)年の春と伝えられ、京都伏見大社の創建(711)年よりも約60年ほど古く、日本最初の稲荷神社といわれていて正面の鳥居に「本朝最初・稲荷大神社」の額が掲げられています。 糸我稲荷神社の境内に樹齢500〜600年と推定される楠の木があります。明治の中頃まで4本ありましたが西北の1本が枯れ、今は3本ですが、3本揃っているのは稀で、有田市の天然記念物に指定されています。他にも境内には3本のイチイガシ(樹齢200年内外)やイチョウの木(樹齢300年内外)等の古木も見られます。

所在地
〒649-0421
和歌山県有田市糸我町中番329番地
交通アクセス
紀伊宮原駅から車で

施無畏寺

明恵上人草庵跡で境内の殺生を禁じたのが寺名の起り。

所在地
〒643-0005
和歌山県有田郡湯浅町栖原1465
交通アクセス
湯浅駅からバスで

歓喜寺

寛和2年(986年)、「往生要集」の著者として有名な恵心僧都源信の開山と伝えられる。境内には、本堂・庫裏に九品極楽浄土を表すという上・中・下品堂の諸堂宇が建ち、本尊の木造阿弥陀如来立像、木造地蔵菩薩坐像は、国の重要文化財に指定されている。

所在地
〒643-0161
和歌山県有田郡有田川町歓喜寺159
交通アクセス
(1) JR藤並駅から車で
(2) 有田I.C・有田南I.Cから車で

丹生神社

10月には全国でも有名な「笑い祭」が行われる。

所在地
〒649-1442
和歌山県日高郡日高川町江川1956
交通アクセス
(1) JR和佐駅からタクシーで
(2) 御坊ICから車で
(3) 御坊南ICから車で

円満寺

寺伝によると平安時代以前からあった密教寺院を、鎌倉時代の弘安5(1282)年、由良興国寺開山法燈国師覚心の高弟、覚円が中興した禅宗の寺院で七道伽藍で12軒の塔頭もある大寺院でしたが、その後火災で焼失し衰退しました。室町時代の天文年間(1532〜1554)紀伊国守守護職、畑山政国の寄進により堂塔も再興して、畠山氏の菩提寺として隆盛を見ましたが、天正13(1585)年に豊臣秀吉の紀州攻めの兵火で焼失しました。 慶長年間(1596〜1614)紀伊国領主、浅野幸長が寺領等を寄進して復興に尽くし、江戸時代の紀州藩主にも受け継がれ江戸中期までに復興されたといわれています。 現在、本尊として釈迦如が祀られていますが、創建以来の本尊と考えられている十一面観音立像の造立年代は八世紀中頃で、盛唐様式を忠実に踏襲した一木造りの数少ない天平期の木彫像といわれ国の重要文化財に指定されています。 本堂に安置されている木造法燈国師座像は、円満寺中興の名誉開山、法燈国師の姿を写した肖像彫刻で鎌倉時代の様式が明瞭に認められ、永仁(1293〜1299)の初めのころの制作と推定され、また覚円が描き弘安8(1285)年、法燈国師が自ら賛をしたためた絹本著色法燈国師画像も伝来しています。 江戸時代末期に境内の山地から出土した内行花文鏡二面があります。一面は白銅製・漆黒の美しい光沢を呈し、内側に8個の孤形の文様をめぐらしたもので、「長生宜子」の銘があり、他の一面は中央部と縁の一部を欠いて銘文も不明ですが美麗な漢式鏡で、これらは中国の後漢時代(25〜320)の作品と推定されています。 なお円満寺には、かつては12坊あった塔頭の一つ正住尼寺に伝来したと伝えられる円形の銅板の片面に十一面観音座像を線刻している十一面観音懸仏、慶安元(1648)年作の涅槃図、現在は本堂裏庭に立てられて法燈国師の墓塔と伝えられている無縫塔は、いずれも有田市指定の文化財です。 近年、境内から奈良時代の宇瓦、行基瓦、平安時代の緑釉瓦や鎌倉、室町、江戸時代の古瓦十数点が出土しました。これらは、前記の漢鏡や懸仏と友に円満寺の古刹を物語るものと思われます。

所在地
〒649-0432
和歌山県有田市宮原町東526
交通アクセス
紀伊宮原駅から徒歩で 車で

浄妙寺

浄妙寺は、大同元(806)年に桓武天皇の皇后、藤原乙牟漏の勅願によって唐の僧如寳が創建したとも、また阿波の尼僧西阿弥の創建とも伝えられています。 もとは七堂伽藍の名刹であったといわれていますが、天正13(1585)年の兵乱によって多くの堂舎および縁起等は焼けましたが、薬師堂と多宝塔は密林の中にあったため兵火を免れたのが、今の堂塔といわれています。はじめ立宗であったそうですが、寛文2(1662)年に多宝塔を修理したとき臨済宗に改められました。 本堂(薬師堂)は寄棟造り本瓦葺で貞享3(1686)年と享保3(1718)年、それに大正7(1918)年に大修理を行った際それまでの檜皮葺を瓦葺に改めました。その屋根の勾配のなだらかなところなど、鎌倉時代の建築様式を備えているといわれています。 多宝塔の屋根は宝形造り本瓦葺の三間多宝塔で姿よく整った形のもので、空輪頂上迄の高さ12.95mで鎌倉時代の中期の健造といわれています。 寛文2年と寛延2(1749)年に、また昭和9(1934)年に室戸台風により被害を受けたので昭和12(1937)年に修理されました。 本堂・多宝塔と、いずれも鎌倉時代の作といわれています木造薬師如来坐像および両脇持立像と十二神将立像、それに仏像が安置されている蓮華唐草文の螺鈿をちりばめ鎌倉時代の特長がよく表れている本堂内の蓮華唐草文螺鈿弥壇は国の重要文化財に指定されています。 また多宝塔には八相成道図・真言八祖図の壁画が描かれ、木造五智如来座像が祀られています。 なお螺鈿前卓部・燭台の台・薬師如来光背飛天・仏頭片・帝釈天胴部なども保管保存されています。

所在地
〒649-0316
和歌山県有田市宮崎町1000
交通アクセス
箕島駅から車で 徒歩で

須佐神社

須佐神社の祭神は素戔嗚尊です。須佐神社の起源は和銅6(713)年10月初亥の日に大和国吉野郡西川峰よりここに移したといわれています。また神武天皇55年乙卯正月初卯日に大和国吉野郡西上之峰からこの地に移るという説や、その他の説もあって鎮座の年月は証らかではありませんが、10世紀に定められた延喜式の神名帳に載せられている有田地方唯一の式内社で、古からの存在がわかります。 社殿は初め西向きに建てられていましたが、海上を往来する船が遙拝を怠ると転覆や難船に遭うことが多かったので、元明天皇の勅命によって南向きに建てられるようになったといわれています。 素戔嗚尊の子神の五十猛命を祀る伊太祁曽神社と関係が深く、伊太祁曽神社の近くには口須佐・奥須佐の地名も現存していて、お互いの社領が双方にあったといわれ、天正のころ(1573〜91年)までは秋祭りに神馬12騎が伊太祁曽より来て、千田の神事を勤めたと伝えられています。 天正7(1579)年3月に織田信長の武将、羽柴秀吉がこの地に侵攻したときに、湯浅の地頭白樫氏が内応して社殿等を壊したので、神器、霊宝や縁起・記帳等を唐櫃2つに納めて、神光谷という谷の林の中に隠しましたが、それも捜し出されて焼かれたり海に投げ込まれたりして、今は何も残っていないといわれています。 社殿の修復は江戸時代の寛永・正保のころ(1624〜47年)に藩主徳川頼宣が当社を尊信して、復興を図り元の姿に戻して現在に至っています。 10月14日の秋祭りには神社より高田の浜に神輿が渡御の後、献鯛が投げられ以前はこの鯛の奪い合いが有名で、一名「かけ鯛」とも「喧嘩祭り」ともいわれています。 また享保年中(1716〜35年)に徳川吉宗が太刀一振と神馬1頭を寄進しています。この太刀は現在国の重要文化財に指定されています。

所在地
〒649-0313
和歌山県有田市千田1594
交通アクセス
箕島駅からバスで

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