稲むらの火の館
この館は、浜口梧陵記念館と津波防災教育センターからなる。梧陵66年の生涯をひもとき、ゆかりの空間の中で、偉大な功績や教訓、梧陵の人柄を感じさせるエピソードに出会える。梧陵の防災精神や「稲むらの火」の人命尊重の精神をふまえ、来るべき津波災害から大切な生命やくらしを守ることを学べる。
紀州鉄道
JR御坊駅の0番ホームから出発する電車が紀州鉄道。全長2・7kmととても短い鉄道で、1両編成の車両がゴトゴトと音をたてて市内を走る。駅は全部で5つ。日高別院に近い西御坊市まで約8分で到着する。途中には『学門駅』という名の駅もあり、学業成就の名前にあやかりお守り切符550円も販売している。
戸津井鍾乳洞
和歌山県唯一の観光鍾乳洞。全長100mと小規模ではあるが、年間を通して15℃に保たれており、快適な地底探索が楽しめる。土日祝日のほか、春・夏・冬休み(12月31日〜1月3日を除く)のみ営業中。
宮子姫(かみなが姫)の像
宮子姫(かみなが姫)伝説 今から約1300年ほど前に、九海士(くあま)の浦(現在の御坊市藤田町吉田「八幡山周辺」)という小さな漁村で生まれた宮子という女の子には、大きくなっても髪の毛が生えませんでした。ある日、宮子の母親が海底に沈む小さな黄金の観音さまを拾い上げ「娘の髪が生えてきますように…」と願いをかけると、不思議なことに黒髪が生え日に日に長くなりました。この髪を燕がくわえ、奈良の都へ飛んでいき、当時絶大な勢力を誇っていた藤原不比等(ふひと)の屋敷の軒へ巣を造りました。巣から垂れ下がった長い髪を見た不比等は、宮子を探し出し養女に迎え入れ、いつしか宮子の髪は人がうらやむほどの長さになり、第四十二代文武天皇の妃となり、第四十五代聖武天皇の御生母となりました。「かみなが姫」と呼ばれるようになった宮子姫は、自分を幸せにしてくれた観音さまをお祀りしたいと天皇にお願いし、現在、歌舞伎で有名な道成寺(どうじょうじ)が建立されたと言われています。
濱口梧陵銅像
濱口梧陵の遺徳を偲び、昭和42年(1967年)1月に耐久中学校の校庭に建立された銅像
和歌山県有田郡広川町広1123 町立耐久中学校グランド内
(2) 湯浅御坊道路広川ICから車で
濱口梧陵の墓
安政元年(1854)の大津波の際、稲むらに火をつけ逃げ道を示し、村人を津波から救ったことで知られる。墓は淡濃山の東南山麓にあり、墓碑の正面には「濱口梧陵墓」側面に「明治十八年四月廿一日八代儀兵衛建」と刻されている。
感恩碑
往古の広村の歴史に触れながら、災害から広村を守り発展させてきた幾多先人の遺徳をしのび、最後に濱口梧陵の偉業とその徳を称えたもので、昭和8年12月に建立されました。
濱口梧陵碑
濱口梧陵の生涯の事績やその徳行を称えて、没後たてられた碑です。濱口勤太氏によって、その碑文を勝海舟に依頼し、撰文と題額の揮毫を受けたもので、広八幡神社境内の山手の一隅に明示26年4月に建碑されました。
広川町役場 稲むらの火広場
「稲むらの火」の物語を文化的環境空間として再現した広場で、ここで毎年稲むらの火祭りの式典が行われます。
クヌッセン顕彰碑
人種と国境をこえた海の勇者。デンマーク人ヨハネス・クヌッセン機関長の顕彰碑である。クヌッセン機関長は昭和32年2月10日の厳寒の夜半、遭難中の日本人船員を救おうとしてともに紀州灘の激浪の中に没した。
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