熊野古道
平安時代中期から鎌倉時代後半にかけて、既成宗教にあきたらなくなった都の貴族たちが求めた山岳信仰への道を熊野参拝道といい、現在、熊野古道と名づけられて、歴史の道に指定されている。熊野三山(本宮・新宮・那智の熊野大社)への信仰は大自然への信仰だった。山精や水伯や飛滝や巨石に宿る霊魂に抱く畏怖と祈りに仏教や修験道の思想も加わり、現世極楽を熊野の地に求めたのである。熊野は隈野、那智は難地、すなわち、地の涯への難行苦行で、一切の罪業が消滅するという考えであった。ルートは何本かあったが中辺路ルートが主要道で、一時は“蟻の熊野詣”といわれるほど盛んで、後白河法皇など実に33回の熊野御幸をしている。中辺路(なかへち)は紀州の海側から山深く分け入った所にある町の名だ。この町の名は熊野三山詣のルート、中辺路から命名された。そのいわれの通りに、町には熊野詣のための休憩所でもあり、また、道中の安全を祈ったりもした小祠の王子の跡が点々と残っている。