九戸城跡
奥州藤原氏時代には城が置かれたというが不詳。三戸城(青森県三戸郡三戸町)を本拠とする南部氏の一族に九戸氏があり、永禄12年(1569)政実のとき、鹿角地方奪還の戦功によって二戸郡を領し、九戸村伊保内から移って入城したとされる。天正19年(1591)政実は南部氏に背いて挙兵、豊臣秀吉の発した大軍に攻められて滅びる。九戸城はその後,南部信直が福岡城と改称して三戸城から移る。信直没後、嫡男利直が入城するが,盛岡城が完成して利直が移ったため,廃城となった。現在は三方を深い谷に面した地形に面影をとどめているのみである。◎九戸政実(1536-1591)南部氏の一族。戦国末期,宗家の信直と争い,豊臣秀吉の兵五万に居城九戸城を攻められ降伏、斬首された。
堀野遺跡
「環状列石状の組石遺構」と「竪穴住居跡」の複合遺跡。
浮島古墳群
奈良時代後期から平安時代初期に造られた土饅頭式の小円墳群。円型船底古墳で、屈葬形式の土葬墳である。発掘調査の結果、直刀、ヤスリなどの鉄器、ガラス玉、丸玉などの副葬品が出土した、岩手県指定史跡。
今松竪穴住居跡
奈良時代末期の住居跡。すでに米を主食とし、鉄器を使用していたことがわかったほか、住居跡から多くの副葬品が発掘された。岩手県指定史跡。
殿坂の石碑
延文2年(1357)空海作。岩手県北で最古の石碑。
津軽街道の一里塚
七時雨一里塚,曲田一里塚,苗代沢一里塚,荒屋一里塚。駅から徒歩10〜40分。
だんぶり長者泉の酒湧出の地
「だんぶり長者伝説」の地