小宅古墳群
前方後円墳5基と円墳13基以上が群在。
風戸塚古墳
頂頭部は平坦な截頭円墳である。比較的大型の円墳であるが、周溝もはっきりせずまた墳端部は削平され墳頂部も変形が著しい。また葺石等は不明瞭で埴輪等の細片も見当たらない。 主体部が未調査のため築造年代は不明であるが、古墳時代後期のものと思われる。
高館城跡
高館山頂にある。別名益子城,西明寺城ともいわれた。益子氏の居城として、天正17年(1589)宇都宮国綱、芳賀高継らによって滅ぼされるまでの間、高館山の山頂を中心に構築された中世山城で、全国的に見てもとても規模が大きく、現在も当時の土塁や空堀の姿を見ることができる。また、南北朝時代は西明寺城とよばれ、関東六城(関、大宝、真壁、伊佐、中郡、西明寺)の最北端の城として活躍した歴史をもつ。
天王塚古噴
横穴式石室。古代中国の天文術により設計された。後円部南側のややくびれ部寄りで、墳頂下約2.2mに天井石を置く横穴式石室をもつ。 玄室:幅1.57m 長さ4.55m 高さ1.61m羨道:幅0.60m 長さ2.30m 高さ1.55m両側は平石積出土品:環頭太刀、鉄刀、兜、白銅鏡、青銅鈴、鈴杏葉、埴輪、鏡、馬具等天王塚古墳は益子町道祖土字荒久台にある古墳群(荒久台には28基の古墳が確認されている)の主墳と考えられている。築造年代は石室や副葬品の特徴から見て5世紀後半から6世紀前半である。
桔梗城跡
八田知基が築城し約400年間茂木氏の居城となっていた。城跡には、本丸・二の丸・三の丸・大手門・千人溜・鏡が池等の跡があり、現在城部は城山公園となっており、眼下に城下町を一望できる。
千本城跡
那須与一の兄が築城した山城。別名を教ヶ丘城とも言う。城部は標高240mの山頂で東西90m南北370m現在は一部の遺構が残るのみ、1585年謀殺の悲話を残し、落城となった。
石下古墳群
八溝山地中の丘陵地に20基以上の円墳が群集。
芦原城跡
山上に築かれた山城。町一帯を見下し展望がよい。
村上城跡
那須一族の居城跡。今は永徳寺の境内になっている。
姥が池
「祖母井」地名発祥の由来ともなったといわれる泉。天然記念物の杉がある。最近整備され、姥が池ロマン公園となった
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