都道府県別 観光地なび

更新日:2011/11/06

稚内・留萌

稚内・留萌

その他 / その他名所

日本最北端の地の碑

日本最北端の地の碑は、北緯45度31分22秒、宗谷岬の突端に位置し、まさに日本のてっぺんに建てられています。碑は、北国のシンボル北極星の一稜をかたどった三角錐をデザインしたもので、塔の中央にあるNの文字は「北」を、そして台座の円形は「平和と協調」を表しています。国道238号線の拡幅とバスレーン・歩道の新設により、駐車場やはまなす花壇などが整備され、観光客の絶好の記念撮影ポイントとなっています。

所在地
〒098-6758
北海道稚内市宗谷岬
交通アクセス
稚内駅からバスで

しょさんべつ天文台

北海道道北地域では最大の直径65センチ、フォーク式反射天体望遠鏡はじめ4台の望遠鏡を備え付けた天体観測施設。望遠鏡のほか、多目的ホール、研修室、展示ホールが備えられており、星にまつわるセミナーも開かれている。近くにはトリムコースやジャンボ滑り台、ゴーカート場、パークゴルフ場なども整備されており、子供から大人までの楽しいレジャースポットにもなっている。My stars system(星の所有・名付け制度)を実施中。

所在地
〒078-4431
北海道苫前郡初山別村字豊岬(みさき台公園内)
交通アクセス
(1) 留萌駅からバスで
(2) 留萌市から車で

ペーチャン川砂金掘体験場

ゴールドパンを使い砂金を採る。インストラクター常駐。

所在地
〒098-5561
北海道枝幸郡中頓別町字兵安
交通アクセス
中頓別バスターミナルから車で

南極観測樺太犬訓練記念碑

昭和32年、国際地球観測年を機に、日本が初めて南極観測に参加するにあたって、極地での物資輸送を目的に”犬ぞり隊”が編成されました。  この”犬ぞり隊”の主役が、稚内周辺から集められた樺太犬たちです  南極へ出発する前に、”犬ぞり隊”は稚内公園で8ヶ月間、厳しい訓練を受け、その中から選び抜かれた22頭の樺太犬は、南極観測船『宗谷』で白い大陸に渡り、任務をまっとうしました。  しかし、南極の悪天候を克服できず、樺太犬15頭が現地に置き去りにされて死ぬという悲劇を被りました。  そして、昭和34年1月、第3次越冬隊がタロ・ジロの奇跡的な生存を確認し、当時世界の人々を感動させたことは今日でもよく知られています。  稚内市は、樺太犬の功績を讃え、『南極観測樺太犬訓練記念碑』を制作しました  記念碑はブロンズ像で、台座には南極で採取した白石が埋め込まれています。  除幕式には、樺太犬を南極に置き去りにした隊員への非難と、タロ・ジロの奇跡の生還の歓喜がうずまく中で、昭和35年7月、関係者多数の出席のもと、とり行われました。

所在地
〒097-0001
北海道稚内市稚内公園
交通アクセス
稚内駅から徒歩で

祈りの塔

昭和58年9月1日未明、世界を震撼させた”大韓航空機撃墜事件”が眼前のサハリン西海域で起きました「祈りの塔」は2周忌にあたる昭和60年9月1日に、遭難者の慰霊と世界の恒久平和を願い、遺族会の資金と、稚内市をはじめとする全国からの浄財をもとに、サハリンを臨む宗谷岬の高台に建立されたものです塔の周辺には地域の婦人部が世界平和の願いを込めて追い丹誠込めて植栽しているアルメリア花壇があります碑文愛と誓いを捧げるあなたたちの生きる喜びを一瞬のうちに奪いさったものたちは、いま全世界の人々から糾弾されています。事件の真相はかならず近い将来にあきらかにされるでしょうわたしたちは あなたたちの犠牲を決して無駄にはさせませんわたしたちは 生命の尊さと武力のおろかさをひろく世界の人々に訴えていくことを誓います愛しい人たちよ安らかにお眠りください1985年9月1日建立日本大韓航空機事故遺族会

所在地
〒098-6758
北海道稚内市宗谷岬
交通アクセス
稚内駅からバスで

九人の乙女の碑

昭和20年(1945)8月20日、終戦5日後に、樺太真岡郵便局で電話交換業務を終えた後、自ら若い命を絶った9人の女性の霊を慰めるために建てられた、高さ1.8m、幅2.4mの登別石で造られた屏風状の碑。この碑は、彫刻家・(故)本郷新氏と樺太引揚者で札幌在住の上田祐子さんの寄進により造られたもの。北方記念館(開基百年記念塔)には、関係資料が展示されている。昭和20年(1945年)8月20日、終戦5日後に、樺太真岡郵便局で電話交換業務を終えた後、自ら若い命を絶った9人の女性の霊を慰めるために建てられた殉職した九人の乙女高石ミキ(24)可香谷シゲ(23)吉田八重子(21)志賀晴代(22)渡辺照(17)高城淑子(19)松橋みどり(17)伊藤千枝(22)沢田キミ(18)碑文戦いは終わった。それから5日、昭和20年8月20日ソ連軍が樺太真岡上陸を開始しようとした。その時突如、日本軍との間に戦いが始まった。戦火と化した真岡の町、その中で交換台に向かった九人の乙女等は、死を以って己の職場を守った。窓越しに見る砲弾のさく裂、刻々迫る身の危険、いまはこれまでと死の交換台に向かい『みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら……』の言葉を残して静かに青酸カリをのみ、夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた。戦争は再びくりかえすまじ。平和の祈りをこめて尊き九人の霊を慰む

所在地
〒097-0001
北海道稚内市稚内公園
交通アクセス
稚内駅から徒歩で

間宮林蔵 渡樺出港の地

宗谷岬から西へ3kmの第二清浜地区にある。文化5年(1808)4月13日、幕府から樺太探検の命を受け、樺太探険に出航した地。この時、林蔵は生きて再び日本の土を踏めないと覚悟し、郷里から持ってきた自分の墓石(花崗岩でできた墓石)を海岸に建て、探検への決意のほどを示して旅立ったといわれている。後年この地で宗谷アイヌが林蔵祭を行った。

所在地
〒098-6754
北海道稚内市第二清浜
交通アクセス
稚内駅から車で

間宮林蔵の立像

世界地図にただ一人日本人の名を残した探検家・間宮林蔵は、安永9年、現在の茨城県伊奈町に産声をあげました像は、林蔵の生誕200年にあたる昭和55年7月に、彼の偉業を顕彰し、時代を担う青少年に、世界へ羽ばたく夢と勇気を培ってもらおうとの願いから建立されたものです林蔵が樺太へ渡る決意を秘め、はるか樺太を望見している立像で、栽付袴に羽織、足袋、二本差しと、肩には海上計測用の“縄索”をかけています像は、実物より2割ほど大きい、高さ2メートルのブロンズ像です制作者は、自由美術家協会会員の峰孝(ミネ タカシ)氏。

所在地
〒098-6758
北海道稚内市宗谷岬
交通アクセス
稚内駅からバスで

三毛別 羆事件 復元跡地

大正4年(1915年)冬、身のたけ2.7メートル、体重380キロの巨大なヒグマが同部落を襲い、9人を殺傷した。ところが事件現場は住民がクマを恐れて下流に引っ越したり、離農したため、説明板などがあるだけの荒野。そこでまち活性化の一助にと平成2年夏、同集落の住民が総出で、現場を再現した。

所在地
〒078-3638
北海道苫前郡苫前町字三渓
交通アクセス
古丹別市街から車で

氷雪の門

かえらぬ樺太への望郷の念と、樺太で亡くなった人々の慰霊のために昭和38年(1963)8月20日に建立された。慰霊碑の設計と製作は、ヒューマスティックな作風で知られる札幌出身の彫刻家・(故)本郷新氏が手掛けたもので、美術の教科書等にも掲載される等、美しく芸術性の高い作品として知られています。碑は、黒大理石の霊石を配した高さ8mの望郷の門、雪と氷の中で厳しく生き抜きそして敗戦の失意から再びたくましく立ち上がった人々を象徴する高さ2.4mの女性像。

所在地
〒097-0001
北海道稚内市稚内公園
交通アクセス
稚内駅から徒歩で

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