横手城跡
戦国時代,豪族小野寺景道の居城であった。その後,佐竹城の支城となる。現在は横手公園となっており,天守閣を模した展望台がある。
亀田城
陣屋であった城を復元,城内は美術館になっている。
一里塚
慶長9年(1604年)徳川幕府が、奥州とその他御堂筋諸藩に命じて築かせた標点跡。旅人の憩いの場となったところ。市の愛宕町・湯の原地区にそれぞれ残っており、樹齢約400年のケヤキは歴史を感じさせる。
湯沢城跡
小野寺経道の三男道定(湯沢三郎)が築いた城で,江戸時代には佐竹義種が城代として湯沢城に入ったが、一国一城令により破却された。
稲庭城
秋田県南を治めた戦国大名 小野寺一族の本拠地を再現。小野寺氏ゆかりの品々を展示しているほか、川連漆器等の伝統産業も展示している。屋上は展望台になっており、近隣市町村までを一望できる。 鎌倉時代初期に小野寺氏が初めて築城した。室町末期に沼館城に移るまで本拠とした。いわば小野寺氏創業の城である。その後小野寺氏は横手城に移り、稲庭城はその支城となるが、戦国期、横手盆地に侵攻してきた山形の最上勢に攻められて落城した。城内には郭跡、堀切、櫓台跡などが残っている。
院内銀山跡
江戸時代を通して栄えた鉱山。鉱山の最盛期には人口約15,000人の大きな町となった。明治末期に銀の価格が暴落し、経営が悪化したため廃坑となる。現在は当時の町並みは無く、金山神社が一件残るのみであるが、所々で当時栄えた面影を見ることができる。
金沢柵跡
出羽の俘囚(在地の豪族)の長,清原氏が本拠としたが,前九年の役の功により清原武則は鎮守府将軍に任じられ,陸奥国に移って奥羽全域を支配した。現在,金沢柵は八幡山が柵址とされ,史跡公園になっているが,正確な所在地かどうか疑問の余地もありそうだ。いま本丸とか二の丸,北の丸といった名称があるのも柵址としては不自然で,これは戦国以降のものであろうという。事実,戦国時代にここに山城が築かれ,金沢氏が存城した。現在はわずかに本丸・二の丸跡に陣営の掘っ立ての柱穴跡が残っている。◎清原武則(生没年不詳)仙北生れ。俘囚主光頼弟。前九年の役末期源頼義を助け奥州の豪族安倍氏を倒した功により鎮守府将軍となる。
本荘城跡
六郷氏の尾崎城の跡で、今は桜と、つつじの名所となる。
佐竹南家の塋域
慶長8年佐竹氏転封より二代が常陸府中の城代であり、三代目の義種より湯沢城主になった。その墓碑位牌が清凉寺に安置されている。
西国三十三観世音菩薩
安政4年(1857)に建立された石仏であり、当時の不安定な情勢を示す貴重な資料である。
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