高千穂河原
霧島神宮のお宮があった所。大鳥居の奥に玉砂利が敷かれ,宮跡が祭られている。
熊襲の穴
熊襲の首領川上タケルが日本武尊に殺された所といわれる。
上野原縄文の森
北には霧島連山、南には桜島と錦江湾を望む台地に約9500年前の国内で最大・最古級の遺跡が発見されました。
古宮址(高千穂河原)
僧性空が高千穂の峰 四方麓に社殿と別当寺を再建した。
隼人塚
反乱を起して征伐された隼人族の慰霊塔と伝承。最近では、平安時代の仏教遺跡と考えられるようになってきた。苔むした石塔3基と石像4基が平成11年12月修復されています。
舞鶴城跡
島津義久は、慶長9年(1604年)隼人の富隈城から舞鶴城に移り、慶長16年に79歳で死去するまで在城した。舞鶴城は山城の南麓に造営され、平時は軍事・行政が執行されるが、戦時になると城山(隼人城)に立て籠もるという方法がとられた。
大隅国分寺跡
奈良時代の聖武天皇は、天平13年に国家の鎮護と五穀豊穣を祈って、国ごとに僧寺と尼寺の建立を命ずる勅令を出した。大隅国分寺もその一つである。現在は六重の石塔一基などが残っている。
高屋山上陵
天津日高彦火々出見尊の御陵とされ神代三山陵のひとつ。
加治木城跡
周囲4kmの堅固な加治木歴代の支配者の居城。
建昌城跡
現在,通称馬乗り馬場が残っている。享徳3年〜文明18年,島津家の居城であった山城。
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