琉球の邸宅及び庭園等はその家柄の官等位階によって格式が規定されていた。この庭園は石垣家の祖先大浜親雲上(おおはまペーちん)長演が大浜間切の頭職(八重山の最高の役職)当時首里の庭園師城間親雲上(ぐすくまぺーちん)の構図、設計監督により『日本石山の法式』をもって創建したものである。