おかげ横丁
おはらい町中程にあり、明治時代の伊勢の様子が再現されている新しい観光スポット。おかげ横丁の名前の由来は伊勢名物「赤福」が創業の地で約300年商いを続けてこられたことに対する感謝の思いと江戸末期から明示初期に流行した「おかげ参り」にちなんでつけられた。
おはらい町
内宮前にかかる宇治橋のたもとから、北へ向かう約800mの旧参宮街道沿いの町並みが「おはらい町」。石畳みの道の両側には、古い民家があり、神宮道場(もと神宮司庁)、祭主職舎(もと「慶光院」家)の2つの大きい建物を除けば、妻入、2階建で、外壁面が下見板張りの民家が目立つ。伊勢市内や参宮街道沿いの民家に妻入が多いのは、神宮社殿が平入なので、同じ平入にするのは恐れ多いと考えて、これを避けたものと地元では伝えられている。若者からお年寄りまで幅広い人気を得ているおかげ横丁もこの一角にある。
三重県伊勢市宇治中之切町・宇治今在家町
夫婦岩表参道
JR二見浦駅から二見興玉神社の間の旅館街。
河崎の町並み
伊勢市駅から東へ歩いて15分ほどで勢田川に出る。お伊勢参りの人たちを運んできた川である。この川の左岸に妻入り造りの商家群の残る町並み、河崎がある。石組の上に分厚い黒板塀のある蔵や船着場、300年以上も経つ現役の酒屋や元魚屋の陶器屋等々…が「世古」という路地の両側に並び、時代錯覚をおこしそうだ。江戸時代、伊勢参りの人たちの食料や日用雑貨を扱う問屋街だった所で、町並みの一角に、商家の看板などを展示する「河崎商人館」もある。
古市の宿場町
間の山とは山田尾上町の尾部坂と宇治浦田の牛谷坂の間を言う。外宮から内宮に通じる旧参宮路の途中にあり、伊勢まいりの人々が足をとめる繁華街であった。中でも古市はその名の示すとおり市が立ったところであるが、参宮が盛んになるにつれて参宮客相手の廓が建ち並ぶようになった。伊勢参りの人々は「伊勢音頭」をききながら、この古市で精進落しの遊びを楽しんだという。歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」の舞台となった油屋や備前屋・杉本屋など軒を並べていたが戦災をうけて、現在は昔の姿を見ることは出来ないが伊勢古市参宮街道資料館で当時の様子を伺える。