坂東市逆井城跡公園
逆井城は旧飯沼に臨む高台にあります。この旧飯沼は南北約30Kmにわたり、城は自然の要害に守られていました。佐竹・結城・多賀谷氏らとの領国の境目として、北関東出身をめざす後北条氏の最前基地であったようです。天正18年(1590)、後北条氏の滅亡とともに廃城となったといわれています。昔のままの姿をとどめる土塁・空堀は周辺地域とともに歴史公園として、住民の憩いの場となっています。
結城城跡
源頼朝の挙兵に参戦して功あった小山一族の朝光が寿永2年(1183)頃築城、結城合戦ののち、十三代成朝が旧領を回復し、戦国時代、政勝によって有名な分国法「結城家新法度」が完成された。結城秀康の越前転封後は幕府直轄となり、元禄13年(1700)水野勝長が入封、戊辰戦争では官軍に攻略されて破壊した。現在は、空堀、土塁の一部が残存し、付近は城跡公園となっている。◎結城秀康(1574-1607)徳川家康の第2子。1590年下総の結城晴朝の養子となり十万一千石を領す。1600年関ケ原の戦の時に、宇都宮で上杉景勝の軍を抑え、その功により越前国67万石に封ぜられ福井(北庄)城主となる。
鎌輪之宿跡
「平将門公鎌輪之宿址碑」がある。推定地は西方100mの鎌庭字館野周辺。将門が相馬御厨下司職を捨て、争いを離れ、平和に生きようとした土地である。
古河城跡
鎌倉時代、源頼朝の家臣下河辺行平が築城したのが最初という。慶長6年松平康長が二万石で入封して近世城郭として整えられた。城主は幕府の要職にあったものが多く古河が日光、奥州の両街道に面した要地であったことを裏付ける。◎土井利勝(1573-1644)徳川秀忠の側近。秀忠没後古河城主となり、大老となった。◎土井利位(1783-1848)古河藩主。大坂城代、京都所司代、老中など幕府の要職を歴任。一方、雪の研究家としても有名。◎鷹見泉石(1785-1858)古河藩家老として藩主土井利位を補佐。蘭学研究者としても海外地理研究に名を残す。
古河公方館跡
古河公方館跡(県史跡)は、御所沼と呼ばれた沼に突き出た所に位置し、「鴻巣御所」とも呼ばれていた。ここは古河公方足利成氏が古河城の別館として築城したものといわれる。また最後の古河公方義氏の遺児氏姫が古河城からここに移され、その死まで住んだ所でもある。現在は「古河公方館跡」の碑が立っており、近くには堀と土塁を見ることができる。
府中愛宕山古墳
舟塚山古墳の裏にあり、舟塚山古墳の入舟に対し出舟と呼ばれる前方後円墳
舟塚山古墳
県内最大、東日本でも2番目に大きい前方後円墳。入舟とも呼ばれる。
常陸国分寺跡
七重塔心礎・中門・金堂等の礎石が残っている。
常陸国衙跡
常陸国分尼寺跡
尼寺の伽藍配置を明確に伝える貴重な史跡である。
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