都道府県別 観光地なび

更新日:2011/11/07

常総・結城・桜川

常総・結城・桜川

文化史跡 / 城郭

豊田城

石下地方に500有余年にわたり、栄えた豊田氏の城を復元。地域の歴史、産業、更には長塚節の展示コーナーがあります。1〜2階は多目的ホールと図書館になっています。天守閣の高さが48.5mあり、日本で二番目に高いお城です。

所在地
〒300-2706
茨城県常総市新石下2010
交通アクセス
関東鉄道常総線石下駅から徒歩で

大宝城跡

平安時代から南北朝時代にかけてあった城跡。西、北、および東方の一部を旧大宝沼に囲まれた台地の自然の地形を利用して造築された城郭であり、東方も古い時代は沼か湿地であったと思われるから三方断崖に面した要害の地であった。 東西288メートル・南北576メートルで台地の北方を本丸、南方を大手、東を搦手とした。興国2・暦応4年(1341)11月、春日中将顕国が興良親王を奉じて小田城よりここに移ってから、東国における南朝方の拠点となった。その後、北朝方の猛攻をうけて苦戦を続け、食料不足と場内不和のため、興国4・康永2年(1343)11月12日落城。城主下妻政泰は討死したといわれる。 城跡は大宝八幡宮の境内として今にその面影を留めている。八幡宮裏に昭和6年(1931)5月建立の「贈正四位下妻政泰忠死之地」の碑と、昭和18年(1943)11月の「下妻政泰公碑」が建っている。

所在地
〒304-0022
茨城県下妻市大宝667
交通アクセス
関東鉄道常総線大宝駅から徒歩で

駒城跡

南北朝時代にあった城跡。東西約120メートル、南北約180メートルの情勢の北西部に駒城址」の碑がある。駒館、駒楯城ともいわれた。 駒城は小田城(つくば市)、関城(筑西市)、大宝城とともに常陸国における南朝方の戦略的拠点として重要な存在であった。在地の武将の名は確定できないが、中御門少将実寛を擁して奮戦し、興国1・暦応3年(1340)5月27日、北朝方の将高師冬の猛攻により実寛は生け捕りにされ、やがて落城したといわれる。

所在地
〒304-0007
茨城県下妻市黒駒

多賀谷城本丸跡

市内本城町に戦国時代にあった城。もと結城氏の重臣であった多賀谷氏によって、15世紀の半ば(寛正年間)に築城されたといわれた。その後、多賀谷氏は矢田部、水海道以南にまで領地を拡大したが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いに参陣しなかったため、城地没収のうえ追放された。明治22年(1889)本丸跡の台地に多賀谷氏遺跡碑が建てられるまで下妻城と呼ばれた。現在、多賀谷城跡公園となっている。

所在地
〒304-0064
茨城県下妻市本城町
交通アクセス
関東鉄道常総線下妻駅から徒歩で

茨城県 TOP

人気ランキング
都道府県別 観光地なび 【常総・結城・桜川の宿】

このページのTOPへ HOMEへ戻る

| 北海道 | 青森県 | 岩手県 | 宮城県 | 秋田県 | 山形県 | 福島県 | 栃木県 | 群馬県 | 茨城県 | 埼玉県 | 千葉県 | 東京都 | 神奈川県 | 山梨県 | 長野県 | 新潟県 | 富山県 | 石川県 | 福井県 | 静岡県 | 岐阜県 | 愛知県 | 三重県 | 滋賀県 | 京都府 | 大阪府 | 兵庫県 | 奈良県 | 和歌山県 | 鳥取県 | 島根県 | 岡山県 | 広島県 | 山口県 | 徳島県 | 香川県 | 愛媛県 | 高知県 | 福岡県 | 佐賀県 | 長崎県 | 熊本県 | 大分県 | 宮崎県 | 鹿児島県 | 沖縄県 |

Copyright (C) 都道府県別 観光地なび All Rights Reserved.