大多喜城本丸跡
天正18年(1590)に本多忠勝が築城,以後,阿部・青山・稲垣氏が封ぜられ,最後の城主は鳥羽・伏見の戦で幕府軍の総督をつとめた大河内正質,明治元年(1868),東海道先鋒総督軍に接収された。現在,薬医門と大井戸が残り,本丸跡には天守を復原した総南博物館がある。◎本多忠勝(1548-1610)三河生れ。徳川家康に仕え,徳川四天王といわれた。京阪遊歴の途中,本能寺の変をきいて去就に迷う家康に進言し,慎重を期して岡崎帰城を決定させた話は有名。
官軍塚
官軍熊本藩の用船が遭難した際の死者を埋葬した塚。
勝浦城跡
里見氏と家臣正木氏の居城であったが,天正18年(1590年)徳川家康の軍勢に攻められて落城した。城主正木頼忠の娘お方はのち家康の側室となって,和歌山城主頼宣,水戸城主頼房を生んだ。