稲村ヶ崎
由比ヶ浜の南西端に突き出す懸崖で、かつては霊仙山とつづいていたが、現在はドライブウェイで切断され島のように見える。1333(元弘3)年新田義貞が鎌倉を攻めるとき、黄金作りの太刀を海に投じて潮を引かせたという話は有名である。結核菌・コレラ菌発見などで有名なドイツ人のロベルト・コッホ博士の碑が立つ。また、岬の西側の高台は稲村ガ崎公園になっており、新田義貞の碑や『真白き富士の嶺』の歌で知られるボート遭難の慰霊碑が立ち、遊歩道が設けられている。
東勝寺跡
北条一族が自刃した寺。寺跡碑がたつ。
田谷の洞窟(定泉寺境内)
真言密教の道場だった日本でも珍しい人口地底伽藍が見ものです。延長約1km以上の洞内壁面に無数の仏像が刻まれています。
和賀江嶋
鎌倉時代の港で、わが国に現存する最古の築港遺跡。
旧相模川橋脚
関東大震災の際水田中から出現。
永福寺跡
源頼朝が1192年建立。1405年火災後廃絶した。
五領ケ台貝塚
打製石斧,石錘,石鏃などが多く魚骨等が多数出土する。
大慶寺
もと関東十刹のひとつで、大休正念の開山。
玉縄城跡
北条早雲が三浦半島制覇の足場として永正9年(1512)に築いた。天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原平定戦の際に、徳川勢に開城した。江戸に入部した家康は本多正信・水野忠守をこの城に入れたが、元和元年(1615)の一国一城令で廃城となった。清泉女学院のある丘陵一帯が城跡である。
法華堂跡
源頼朝の持仏堂だったが頼朝の死後墳墓堂となった
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