円覚寺舎利殿
弘安5年の建立だが、応永28年、永禄6年の両度の火災に遭い、現在の舎利殿は太平寺仏殿を移築したものと伝える。禅宗様の、最も純粋な形式を示す例として知られる。国宝に指定されている。
鴫立庵
「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」その昔、西行法師がここで詠んだ歌であるといわれている。小田原の外郎の子孫崇雪が庵をむすび、のち元禄8年(1695年)江戸の大淀三千風が入庵して俳諧道場を開いてから有名になり、以来、代々俳人を庵主にむかえて今日にいたっている。かやぶきが鴫立庵。このほか虎御前の木像が安置されている「法虎堂」文覚上人作と伝えられる西行旅姿の像を安置する「円位堂」観音堂「光徳殿」がある。そしてこれらの堂を囲んで松林の下に歴代庵主や、多数の人の句碑や文学碑が建っており、昭和24年には貞明皇后もこの庵に見えられた。全体がひとつの文化財になっている。
旧華頂宮邸
昭和4年に華頂博信侯爵邸として建てられた貴重な洋風建築物。鎌倉の緑深き谷戸の中にあるというロケーションの魅力とともに高く評価されています。
旧石井家住宅
龍宝寺境内にある。もと市内関谷にあった江戸時代初期の農家を移したもので、正面15.5m・側面9.1m・茅葺・寄棟造。内部は、ひろま・でい・へやの3間からなり、当時の農家の典型的な様式を示すといわれる。石井家は小田原北条氏の地侍から発し、近世は名主の家柄であった。
旧川喜多邸
映画を通じ、国際交流に尽力した川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅。広大な敷地と質の高い和風住宅は鎌倉における代表的な「お屋敷」です。※現在、記念館建築工事のため一般公開は行っておりません。
大沸次郎茶亭
大正9年に建てられた茅葺きの木造平屋建。大沸次郎の書斎として、また文土仲間の交遊の場でもあった。
民俗資料館(旧三橋家)
幕末の上級農民の家の様子をよくとどめている貴重な文化財。
神奈川県茅ヶ崎市堤4318
旧和田家住宅(民俗資料館)
幕末大型民家の特徴を備えている。
神奈川県茅ヶ崎市堤3882
旧島崎藤村邸
当時貸家には珍しく書斎があり、この一帯を地元では「町屋園」と称していた。