桶狭間古戦場
永禄3年(1560年)5月19日の織田信長と今川義元との決戦場で国指定史跡となっている。今川義元が戦死した場所を示す石碑や墓などがある。
小牧山
織田信長の城跡。小牧・長久手の合戦では、家康の本陣が置かれた。小牧山の東麓は史跡公園として整備されている。
青塚古墳史跡公園
東海地区最大級の前方後円墳
桶狭間古戦場伝説地
歴史の転換点となった今川義元と織田信長の合戦の地。〔国指定史跡〕
沓掛城址
今川義元が桶狭間の戦いの前夜ここに1泊し戦略を練ったといわれている。本丸,内濠,大手門の跡がある。
朝日貝塚
東海地方最大の弥生集落朝日遺跡の出土品を公開するため、国指定史跡「貝殻山貝塚」地内に資料館があります。
愛知県清須市朝日貝塚1番地
(2) 尾張星の宮駅から徒歩で
(3) 清洲東ICから車で
(4) 清須ICから車で
岩崎城址公園
岩崎城は、室町時代末の平山城で、享禄2年(1529年)に織田信長の父である信秀の属将荒川頼宗が守っていましたが、松平清康(徳川家康の祖父)方に奪われ、その後、天文7年(1538年)丹羽氏清が本郷城から移ったと言われています。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際に、後方撹乱を狙った豊臣方の池田恒興隊を阻止して、城代丹羽氏重以下300余名が討ち死にしたことが伝えられています。岩崎城歴史記念館には、日進市の歴史を伝える品々が展示されています。
清洲城址
幕末の清洲城跡顕彰碑乙基や信長を祠る小社があります。清洲城の歴史:築城者・創築年とも不明。一説に尾張守護斯波義重が応永年中(1394-1427)に築いたという。のち守護代織田氏の大和守家の居城となる。弘治元年(1555)那古野城主織田信長が大和守信友を討って入城、永禄10年(1567)岐阜城に移るまで本拠とした。天正10年(1582)本能寺の変後は織田信雄、豊臣秀次、福島正則、松平忠吉、徳川義直が城主となった。慶長15年(1610)名古屋築城によって廃城。
大塚古墳
直径40〜50m、高さ4〜5mの円墳で、円筒・形象埴輪を伴う。
長久手古戦場
小牧・長久手の戦いで有名な古戦場。古戦場公園内に勝入塚、庄九郎塚、付近に森長可の武蔵塚がある。町内には御旗山、首塚、色金山など、史跡地が点在する。古戦場公園で史跡めぐりパンフレットを入手できる。
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