国宝犬山城
木曽川の南岸にそそりたつ犬山城は、今から470年ほど前、織田氏によって築かれました。別名「白帝城」といわれており、日本最古の天守閣は国宝に指定されています。◎成瀬正成(1567-1625)三河出身。幼少時より徳川家康に仕え、尾州藩創業時に尽力、その功として藩の両家年寄となり、尾北の犬山に居城、三万石を領した。家臣でありながら城持。
清洲城
平成元年に再建。清洲城の歴史:築城者・創築年とも不明。一説に尾張守護斯波義重が応永年中(1394〜1427)に築いたという。のち守護代織田氏の大和守家の居城となる。弘治元年(1555)那古野城主織田信長が大和守信友を討って入城、永禄10年(1567)岐阜城に移るまで本拠とした。天正10年(1582)本能寺の変後は織田信雄、豊臣秀次、福島正則、松平忠吉、徳川義直が城主となった。慶長15年(1610)名古屋築城によって廃城。現在、三層四階の天守閣や保長塀、日本庭園などが復元されている。◎斯波義重(1371-1418)足利義満の猶子となり、1405年に管領となる。浅倉氏、尾田氏、二宮氏、甲斐氏ら重臣を配し領国を固めようとしたが、足利義持の勘気に触れて、高野山に追放された。◎織田信長(1534-1582)尾張に生まれ、永禄10年(1567)美濃国を手に入れ井の口を岐阜と改称した。天正10年(1582)本能寺の変にて自害した。◎織田信雄(1558-1630)織田信長の二男。1582年本能寺の変後、清洲城主となる。茶・和歌・舞・音楽などに巧みな風流人として知られている。◎福島正則(1561-1624)尾張国海東郡に生まれ、豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いなどに活躍。関ヶ原の戦い後、広島城主となるが、のちに所領を没収され、不遇の晩年をすごした。◎松平忠吉(1580-1607)徳川家慶の四男、遠江国生まれ。関ヶ原の戦い後、清洲城主となる。尾張藩祖となるはずであったが、若死し、後嗣がなく断絶した。◎徳川義直(1601-1650)徳川家康の九男。兄義吉の死去により清洲藩主(後に尾張藩主へ)、家康の遺訓を守り藩政を固め、学問を奨励し、藩風の基礎を作った。わが国で初の聖堂を建て、その廟所も儒教式である。
愛知県清須市朝日城屋敷1番地1
(2) 清洲駅から徒歩で
(3) 東名阪自動車道清洲東ICから車で(清洲城駐車場清洲公園大駐車場)
(4) 名古屋高速6号線清須ICから車で(清洲城駐車場清洲公園大駐車場)
黒田城跡
戦国時代からこの地にあった城で、城主7代の記録が残っている。山内一豊はこの城で生まれた。
愛知県一宮市曽川町黒田字古城
岩崎城
岩崎城は、室町時代末の平山城で、享禄2年(1529年)に織田信長の父である信秀の属将荒川頼宗が守っていましたが、松平清康(徳川家康の祖父)方に奪われ、その後、天文7年(1538年)丹羽氏清が本郷城から移ったと言われています。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際に、後方撹乱を狙った豊臣方の池田恒興隊を阻止して、城代丹羽氏重以下300余名が討ち死にしたことが伝えられています。岩崎城歴史記念館には、日進市の歴史を伝える品々が展示されています。