昭和の町
昭和30年代がテーマ。豊後高田市がいちばん賑やかだった昭和30年代をテーマにした町づくり。生きた商店街をそのままテーマパークにした。化粧看板を取り払い、建築当時の建物本来の姿に戻している。
中津(城下町)
県北の城下町であり、江戸時代寛文年間に城下町が完成した。町割は統一され、町屋を武家屋敷と寺院で囲み、道路は直交式で屈曲も少ない。寺町筋は旧外郭の東側にあり、赤壁の合元寺、浄安寺、西蓮寺と自然石を腰に乱積みした白壁の土塀が続き、12か寺に及ぶ寺々が軒を連ねている。
宇佐
伊勢神宮に次ぐわが国第2の宗廟であり、宇佐神宮鎮座の地である。町筋は江戸時代門前町として栄え、切妻造桟瓦葺の大壁造平入の町家が主で、その間に入母屋造妻入の町家が点在しているが、三間梁に下屋付きの桁庇を持つ町家で妻壁を接して並んでいる所は社寺と一体になった町並みをしのばせる。
北台武家屋敷跡
市の中心部に今のような城下町がつくられたのは、松平英親が入部してからといわれ、その繁栄を背景とした美しい町並や武家屋敷群が今日に残り、城下町は、南台・北台と呼ばれる高台に侍屋敷を、その間の谷川に沿って町屋を配し、これらの高台を結んで、志保屋の坂、酢屋の坂、勘定場の坂などがある。又、南台の西方、南側斜面には寺院街が続き、今なお優雅な堂々たる建造物群として独特の景観をみせる。北台には藩校「学習館」の正門がそのままの姿で現在の杵築小学校の門として残るほか、松平七代親賢の別館であった楽寿亭、藩の重臣であった大原氏の邸宅跡などが残っている。
鏝絵
江戸末期から明治時代にかけて描かれたものが残る。図柄により、その家々(25戸)の願いがこめられている。