斎場御嶽
平成12年12月世界遺産。琉球最高の聖地で、アマミキヨが造った七御嶽のひとつとされる。国王の参詣や聞得大君(琉球の最高神女)の即位儀礼などが行われた。「セーファ」とは「霊力に豊に満ちている場所」の意味である。
沖縄県南城市知念字久手堅
摩文仁の丘
糸満市の南東端の丘。標高800m。背後は海岸絶壁になり,沖縄戦の終焉の地。戦没者慰霊塔や慰霊碑が厳粛に立ち並ぶ。
具志川城跡
海岸断崖上の城跡。潮吹穴(スーフチミー)と呼ばれる海に通じる天然のタテ穴がある。
知念城跡
知念森城という別名のとおりである。「神降り初めの城」といって野面積みの石垣に囲まれた丘上の森の中にある。沖縄の霊地でもある。この城の西方にある〈新城〉の部分は、尚真王(在位1477-1526)の頃、内間大親が築いたらしい。アマミキヨが降臨したとの伝承があり、二つの郭から構成されているグスクである。城壁は野面積みと切り石積みで囲まれ、石造りアーチ門がある。周辺にはノロ屋敷跡や按司墓などが点在する。
沖縄県南城市知念字知念
糸数城跡
南部最大の古城。三方断崖に築かれた城壁が残る。
沖縄県南城市玉城字糸数
佐敷ようどれ
琉球三山を統一した尚巴志王の父尚思紹王をはじめとした計8人が葬られた墓。屋根が駕籠型に近い独特の形をしている。※航空自衛隊知念分屯基地内にあるので事前連絡が必要。
沖縄県南城市佐敷字佐敷
受水走水
霊泉として昔から崇敬されている。琉球ではじめて水田を作り稲を植えたとされている。
沖縄県南城市玉城字百名
山巓毛
海の神様へ感謝と願いを捧げる場所、糸満の町、そして海を見下ろすこの丘は、漁をする際に海上からの目印となった丘でもある。また、南山王「他魯毎」(たろまい)が自刃したと伝えられた所。
高嶺大里城跡(南山城跡)
切石積みの石塁が残る。二代目城主承察度には子供がなかったため、没後は従弟の汪応租が後継者となったが、15年後にその兄の達勃期に殺された。しかし汪応租の子他魯毎が父の仇を討ち、四代目の王となった。やがて中山王尚巴志が南山城を狙い、家宝の金の風屏と南山城下の「カデシ井」との交換を申し出た。他魯毎は承諾する。尚巴志は自分のものになった井戸を監視し、自分に従わない者には使用を禁じた。こうして地元民を輩下に組みこんだ尚巴志は宜徳4年(1429)に南山城を攻略した。
幸地腹・赤比儀腹両門中墓
約300年前に造られた門中墓。糸満の幸地腹と赤比儀腹の共同墓地で、2,500人以上の遺骨が納められている。約5300平方mの敷地の中央に本墓、その前に4基の仮墓、子ども墓2基、納骨堂1基が建つ。頑丈な石造り。
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