旧中原街道供養塔群
東海道よりも距離が短かいため急ぎの旅に利用されたので江戸間道と呼ばれた旧中原街道沿いの六基の供養塔が収められ、江戸期の戸越村・桐ヶ谷村の民間信仰を今に伝えている。<品川区指定文化財・民俗第20号>・6基の供養塔がお堂の中に祀られている。 向かって右側手前から、次のように並んでいる。1)(右手前)石造地蔵菩薩供養堵・製作年代不明、江戸中期と推定。・桐ケ谷、戸越両村の村民が施主となって造立したもの。・「子育て地蔵」として信仰されている。2)(奥右手)石造供養塔・江戸中期の造立と推定されるが、全体に風化が著しく、詳細ほ不明。3)(奥中央)石造庚申供養塔・宝層4年(1754)に、戸越村の村民によって造立されたもの。・正面に青面金剛像を浮き彫りにしている。4)(3の左側)石造庚申供養塔・延宝元年(1673)の道立。・施主として権助以下6名の名を記す。・正面中央部は空白で、下部に三猿を配す。5)(奥左手)石造庚申供養塔・寛文6年(1666)に、戸越村の村民によって造立されたもの。・正面に長文の銘文を刻み、下部に三猿を配す。6)(左手前)石造墓碑・下方が欠失しているため戒名等の詳細は不明。・没年月と思われる記年があるため、寛文2年(1662)ころのものと考えられる。・髭題目が記されており、日蓮宗系の墓碑か。・池波正太郎(1923-1990)は昭和30年(1955)に、この近くの旧中原街道脇に居を定め『鬼平犯科帳』『剣客商売』などを著作。
旧山手通り
目黒区と渋谷区の境にあり、沿道にはエンジュの街路樹が並びます。高台にある立地環境の良さから大使館やお洒落な店、オープンテラスのレストランなどもある代官山の目抜き通りです。