世田谷城跡
源義家の流れをくむ吉良兵部大輔治家から八代、240年にわたって栄えた吉良氏の居城であった。天正18年(1570年)豊臣秀吉が小田原を攻めた時、氏朝が北条氏と親戚関係にあったことから領地を没収され、城も廃された。現在、一部が区立世田谷城阯公園になっている。
東山貝塚
明治のころから知られた貝塚。太古よりこんこんと湧く湧水がある。公園の一角に模造の竪穴住居が作られている。
野毛大塚古墳
全長82m,南関東屈指のホタテ貝型前方後円墳。
猿楽塚
2基の築山が並んでおり,6〜7世紀の古墳時代末期の円墳といわれている。このうち高さ5mほどの大型のものが「猿楽塚」と呼ばれ,町名の起源となっている。
豊沢貝塚
縄文後期〜晩期のもの。貝塚のほかに泥炭層があり、縄文後期の加曾利B式土器片や石器も発見されている
石仏群
二百数十体の石仏が並んでいる。地蔵信仰・観音信仰による。
猿楽古代住居跡
約2,000年前の竪穴住居跡。