戸倉城趾
土豪小宮憲明が築いた山城。城跡からの眺めがよい。
羽村の堰
1653(承応2)年4代将軍徳川家綱のとき、江戸の水不足を解消するために羽村から四谷大木戸までの約42kmの水路が開かれた。これがいわゆる玉川上水で、その第1取入口がこの羽村の堰である。堰上広場には、多摩川を背景にして玉川兄弟の銅像が立つ。
東京都羽村市玉川1丁目先
(2) JR青梅線羽村駅東口からバスで(羽村市コミュニティバス「はむらん」羽村西コース羽村橋バス停下車)
二条城跡
ノロシ台として使った小さな出城だったらしい。
瀬戸岡古墳群
多摩川の支流平井川右岸の秋留台地に位置する、都内有数の群集墳である瀬戸岡古墳は、半径約150mの範囲に50基ほどの古墳が分布しており、南武蔵地域の中で類例が少ない横穴式石室を構築する高塚古墳で、後期古墳群として最大級の群集をし、学史的にも貴重な古墳群である。
大塚古墳
大塚古墳は王塚古墳とも呼ばれ、高さは約6メートル、周囲は約130メートル余であり、台地に築造された古墳として重要である。
西秋留石器時代住居跡
西秋留石器時代住居跡は、崖下に秋川を望む、秋川左岸の河岸段丘上にあります。昭和7年(1932年)、東京府によって発掘調査が実施され、当時まだ事例の少なかった縄文時代中期(約4,000年前)の敷石住居跡などが5軒も発見され、一躍注目された。
桧原城跡
平山氏一族の居城。城跡はほぼ完全な形で残る。