旧吉野家住宅
新町を開村した吉野織部之助の子孫の住居。江戸時代末期の名主階級の民家の代表例。都の有形文化財。
旧稲葉家住宅
かつて青梅が市場集落であったことを示す代表的家屋。土蔵造りの店蔵は、間にいっぱいに土間がある前土間形式です。
旧宮崎家住宅
郷土博物館隣に市内成木(旧北小曽木村)から移築された江戸中期建築の農家。広間型と呼ばれる様式に特長がある。入母屋造の屋根は山村特有のトラ葺で、杉皮と茅を混ぜて葺いており、内部にはかつての生活用具が置かれている。
旧下田家住宅
江戸時代末期に建造されたかやぶき屋根の民家。
東京都羽村市羽741(羽村市郷土博物館敷地内)
(2) JR青梅線羽村駅東口からバスで(羽村市コミュニティバス「はむらん」羽村西コース郷土博物館バス停下車)
玉川上水
玉川上水は、江戸幕府が江戸市中の水不足解消のために、庄右衛門、清右衛門に命じて、承応2年(1653年)に羽村から新宿四谷大木戸まで開削しました。平成15年に全長43キロメートルのうち、開渠部分の約30キロメートルが国指定史跡に指定されました。
東京都羽村市玉川1丁目・2丁目
(2) JR青梅線羽村駅東口からバスで(羽村市コミュニティバス「はむらん」羽村西コース羽村橋バス停下車)
玉川兄弟の像
羽村堰の近くには、庄右衛門、清右衛門の玉川兄弟像があります。玉川兄弟とは、玉川上水建設の功によって「玉川」の姓を許され、武士と同身分の扱いになった庄右衛門・清右衛門兄弟。昭和33年、この2人の功績をたたえる銅像が羽村堰に建てられました。測量用の綱を手にして立っているのが、兄の庄右衛門です。
東京都羽村市玉川1丁目
(2) JR青梅線羽村駅東口からバスで(羽村市コミュニティバス「はむらん」羽村西コース羽村橋バス停下車)
羽村堰
羽村堰は、玉川上水の出発点。多摩川の水を取り入れる堰はかつては「羽衣の堰」とも呼ばれていました。承応2年の建造以来、明治31年、大正12年と改修が重ねられ、現在も東京都の上水道取水口として重要な役割を担っています。羽村堰周辺と玉川上水沿いには、約500本のソメイヨシノが植えられ、シーズンには桜の名所として多くの観光客が訪れます。
東京都羽村市玉川1丁目
(2) JR青梅線羽村駅東口からバスで(羽村市コミュニティバス「はむらん」羽村西コース羽村橋バス停下車)
旧小林家住宅
村西部の山間,標高600m余の南斜面に立つ農家。小林家はかつては組頭を勤めた家柄といい,家屋は江戸中期の建築と推定される。入母屋造で桁行7間半,梁間4間,三間取りの隅なんど広間型の形式をもち,東京都から山梨県へかけての民家の関連を知る貴重な建築である。
小河内の太子堂舞台
文久3年(1863年)に建築され、慶応元年(1865年)に再建、地芝居などに使われた。昭和31年に現在の地に移された。江戸末期における山間部落の娯楽施設として貴重であり、又舞台建築史上注目に値するもの。