橋津古墳群
橋津古墳群は通称「馬ノ山古墳群」と呼ばれ、馬ノ山の丘陵上に点在する古墳群で5基の前方後円墳と19基の円墳からなる。古墳時代前期から後期の古墳で、山陰最大級の4号墳(前方後円墳)からは、5面の古鏡・玉・刀剣・農工具類などが出土。この古墳群の内14基が昭和32年に国の史跡に指定されている。
由良台場
幕末,外国船の脅威にそなえて作られた砲台跡。現在,公園として,町民の憩いの場となっている。
羽衣石城
1366(貞治5)年、南条貞宗が築いた標高376mの山城。関ヶ原の戦いで西軍に味方して敗れ、徳川方に焼き払われるまでの約250年間、南条氏の拠点となっていました。現在の天守閣は平成2年に再建されたもので、城山の中腹には天女が羽衣をひるがえしながら踊ったという伝説の場所があります。
長瀬高浜遺跡
長瀬高浜遺跡は、国道9号線及び下水道終末処理場建設に伴う発掘調査で姿を現した弥生時代から中世にかけての巨大複合遺跡です。数々の貴重な発見が相次ぎましたが、最大の発見は昭和55年に大量の埴輪が古墳以外の場所から出土したことです。埴輪には色々な種類がありますが、長瀬高浜遺跡の埴輪は、動物や人物などの埴輪がなく、家形埴輪に代表される器材埴輪であり、初期の埴輪であると言われています。また、埴輪は通常古墳にたて並べられるもので、発見されるのも古墳からというのが常識ですが、古墳でない場所から一括して出土したものです。これは、古墳の築造が何らかの理由により中止されて、そのまま放置されたのではないかというのが有力な説となっています。昭和61年に国の重要文化財に指定されました。
藤井谷廃寺跡
塔心礎石が残る。
石塚廃寺跡
県史跡の塔心礎石がある。
大原廃寺塔跡
奈良時代の寺院跡。塔心礎石があり,古瓦類が出土する。
福庭古墳
山陰地方でもっとも整備された横穴式石室。
伯耆国分寺跡
史跡公園として整備されている。
三明寺古墳
山陰地方最大級の横穴式石室。
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