|
1999年9月20日(月)
実家の父母が宮崎まで連れていった。
実家の父母は車の免許を持っていないので、JRとバスを乗り継いでの移動となった。手術は午後から。心配な父母は手術が終わって、結果がわかるまで病院に残るという。
午後1時半過ぎから、フラッシュが始まる。
尿道の石を膀胱へ戻す処置だが、1度では全部戻らなかったので、フラッシュは2度行った。
手術室はガラス張になっていたようで、父母も手術の様子を見られたようだ。その様子を母は
「ホントに人間と全く同じような手術風景で・・・10人以上の先生が見守ってくれていてね。」
と言っていた。(母には全員が先生に見えたのだろうが、多分、正確に言えば先生の卵だったとは思うが。(^^ゞ)
フラッシュをして何度かレントゲンで石の状態を確認。2度のフラッシュで尿道の石が全部、膀胱へと戻った。
万一、石がフラッシュで動かなかった時には尿道切開という事になる事を覚悟しておくように・・・と
言われていただけに、切開をしなくてすむという事はとてもうれしかった。
次は膀胱からの石の摘出。
すでに時刻は6時を過ぎようとしていたので、父母は病院の先生から、フラッシュが成功した事を確認したところで、延岡に戻る事にした。手術が終わるまで、付き添っていたかった父母だが、自宅のある延岡からここまで2時間以上かかるため、渋々、帰ることにしたらしい。
尿道を切開しなくてすんだという事も確認できた事だし・・・
帰る途中、18日(土)に診察してくれた宮崎市内の動物病院によって、挨拶に行った。金曜日に手術の予約を入れておきながら、急に大学で手術をする事になったので、その陳謝と診察をしていただいたお礼をどうしても直接会ってしたかったと父は言っていた。
20日の朝イチで私からも謝りの電話はしていたが、「それだけでは申し訳ない。」という父の気持ちだった。
こちらの先生は手術をしていただいた大学の先生をよくご存知で
「あの先生なら、一番ですよ。今度会った時に手術の経過をボクも聞いておきますね。」と言って下さったそうだ。
こちらの先生にも何といってお礼を言ったらいいものか・・・・ほんとに感謝するばかりだ。
次の日。大学から、手術の経過の連絡があった。
「膀胱にある石は全部、摘出し、一緒に去勢もしました。
今はまだ気管チューブが入っている状態ですが、経過は順調ですよ。」
宮崎市内の動物病院で診察を受けた時に「気管虚脱症」らしい事を言われていたので、大学病院の手術の時にもそのことを伝えておいた。
そのおかげで、気管チューブを抜くのはとても慎重にしてもらえた。
「大丈夫だ」とはわかっていたが、手術が終わるまでは気が気じゃなかった。
とりあえず、ホッとする。あとは様態を見ながら、退院の日を待つだけだった。
|
|