掛川城
駿河守護今川氏の臣朝比奈泰熈が文明年間(1469〜86)に創建したと伝わる。戦国時代には今川・武田・徳川による争奪戦が繰り広げられた。天正18年(1590)に豊臣秀吉麾下の山内一豊が入城し在城した10年間で天守閣の建立や城下の整備がなされ、東海の名城と称された。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの功績で一豊が土佐へ転封となると、その後城主はめまぐるしく交代するが、延享3年(1764)太田資俊が城主となり代々五万三千石を領して明治を迎えた。近年までは、城郭御殿(国重要文化財)と太鼓櫓を残すのみであったが、長年の市民の願いがかない、平成6年4月、日本初の本格木造によって美しく勇壮な姿が復元された。◎山内一豊(1546-1605)丹羽郡岩倉生れ。織田信安・信長、豊臣秀吉に仕えた。関ケ原の戦い後、徳川家康から土佐一国を与えられ、土佐藩の祖となる。「一豊の妻」の逸話は有名。
高天神城跡
駿河の今川氏が応永23年(1416)に築いたというが、さだかでない。天正2年(1574)徳川方の小笠原長忠(氏助)のとき武田勝頼に攻められ開城、同9年岡部長教のとき徳川家康が攻略して奪還した。現在、城跡の入口に案内板があり、また、本丸などの位置には標柱が立っている。土塁・堀切りなども残っている。
横須賀城跡
天正6年(1578)徳川家康が武田氏の拠点高天神城奪取を企図して、馬伏塚城主大須賀康高に命じて築城した。康高のあと子の忠政が継ぎ、以後松平、井上、本多氏とつづき、西尾氏が二万五千石で入封して、八代忠篤の時に明治維新を迎えた。城は明治6年(1873)に破却された。現在は史跡公園として整備されている。国指定文化財。
真田城跡
武藤刑部丞氏定によって築かれ、元亀3年(1572年)、徳川勢によって落城した。
遠江国分寺跡
昭和26年の発掘調査により、七重の塔跡をはじめとする奈良東大寺様式の配置が確認され、翌年国の特別史跡に。また、昭和43年から歴史公園として整備され、昭和46年4月から開園した。隣接する市役所のロビーでは復元模型が展示されている。
小銚子塚古墳
四世紀後半の46メートルの前方後方墳。
京見塚遺跡
直径47メートルの京見塚古墳を始め、埴輪を焼いた窯や古墳の石室が復元されている。
新豊院山古墳群
古墳時代にかわる頃作られた墓や古墳時代前期の前方後円墳があり、弥生時代から古墳時代にかけての墓の変遷を知る貴重な遺跡。
阿多古山(愛宕山)一里塚
東海道の道しるべの1つで,日本橋から62番目の一里塚。道の両側に対になってきれいに残っている。市指定文化財。また、県道磐田細江線沿いに63番目の一里塚が、宮之一色にある。
澄水山古墳
五世紀前半の55メートルの帆立貝形前方後円墳で、磐田農業高校内にある。市指定文化財。
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