吉野ケ里歴史公園
映像施設やレストランがある歴史公園センターを中心とした「入口ゾーン」、階層の高い人たちが暮らしていたといわれる南内郭や「クニ」のまつりごとをつかさどった所といわれる北内郭からなる「環壕集落ゾーン」、約20ヘクタールの広さがあり、さまざまなレクリエーションが楽しめる「古代の原ゾーン」の3つのエリアからできています。
国営吉野ケ里歴史公園
弥生時代最大級の環濠集落の遺跡。集落は2重の堀に囲まれ,2000基を超えるかめ棺墓や楼観(物見やぐら),高床式の倉などが発掘されている。楼観,竪穴式住居,高床式倉庫などが復元されているほか,発掘品の展示館があり,今後,資料館も建設予定。
佐賀城跡
慶長年間(1596-1614)に鍋島直茂・勝茂父子が現在の佐賀市の南方にあった鎌倉時代からの龍造寺氏の居城村中城(龍造寺城)を基礎に修築。慶長7年(1602)に本丸・台所,翌8年に周りの堀,同14年に天守閣と石垣を設けた。元和元年(1615)の一国一城令で領内の蓮池城が取り壊しとなり,その資材を運び増築にあてた。完成した城は石材四十万荷,大石百万個を使い,天守閣の石垣は五丈の高さであった。佐嘉城・栄城・亀甲城ともいう。現在は,鯱の門と石垣の一部を残す。旧城内は公園化され,佐賀県立博物館・図書館・体育館などがある。◎鍋島直茂(1538-1618)佐賀近郊の生まれ。佐賀藩藩祖。龍造寺隆信の臣で,隆信没後,秀吉に信任され,九州平定,朝鮮出兵に従軍して佐賀藩の支配権を得る。加賀守。日峯。◎鍋島勝茂(1581-1657)佐賀生まれ。直茂の子。慶長12年佐賀藩政を継承し,藩政の基礎を築く。◎鍋島直正(1814-71)佐賀藩江戸屋敷生まれ。十代佐賀藩主。古賀穀堂の意見に従って佐賀藩天保の改革を指導,財政改革と軍備の近代化に努める。維新後議定,上院議長,蝦夷開拓督。幕末佐賀藩の中心的存在。
肥前国庁跡
肥前国の中心となった役所跡全国でも数か所しかない,きわめて貴重な遺跡。
肥前国分寺跡
礎石や古瓦片があり曹洞宗の寺となっている。
田代太田古墳
県下唯一の壁画系統の装飾古墳。
銚子塚古墳
古墳時代前期の佐賀県内唯一の柄鏡式前方後円墳。国史跡に指定されている。
大隈重信旧宅
武家屋敷の生家が残り,邸内に記念館がある。この旧宅は「コ」の字型をしたかぎ屋である。大隈重信は日本史上初の政党内閣を組閣し,また早稲田大学を創設した。
築地反射炉跡
我が国最初の洋式反射炉で,現在反射炉の模型や大砲が建てられている。
西隈古墳
線刻文様を有する石棺を内蔵する装飾古墳。国の史跡に指定されている。五世紀末頃の築造と推定され,環有明海文化圏における石棺系、装飾古墳の代表例として重要な位置をしめる。
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