通潤橋
嘉永7年(1854年)、水不足に悩む白糸台地に水を送るため、矢部の惣庄屋布田保之助が全力を傾けて造った日本最大の水路橋である。種山石工の技術を結集したこの橋は、高さ20m、橋上の幅6m、アーチの水路28mで中央には飲用と潅漑用の3本の水道が通っている。水道は一方の高い所に取水口を設け、平坦な橋を通り、その勢いで対岸の高い所に水を吹き上げる逆サイホンの原理を応用、一昼夜で15,000立方mの水を送り、100haの水田を潤す力を備えている。水圧や地震に充分耐え得るような鞘石垣や鎖石の工法を用いた高度な技術力と、均整のとれた美しさが高く評価され、昭和35年には国の重要文化財に指定された。
阿蘇神社楼門(二層楼山門式)
江戸末期の建築様式の特徴がみられる。1849年建築。
的石御茶屋跡
参勤交代時のお茶屋として細川公からお墨付をもらって現在まで280年に及ぶ。湧水量が豊富で、市の名水池。秋は紅葉もうつくしい。
めがね橋
約100個の石をアーチ形に組んだ橋。1847年完成。
四国霊場遥拝道場
慶応2年弘法大師四国八十八ケ所の霊場遥拝をこの地よりできるように八十八体の大師像を建立した。
御小屋
通潤橋を造ったときの現場小屋。内部には通潤橋の貴重な資料展示室もある。
熊本県上益城郡山都町長原