豊前から豊後に通じる街道は、江戸時代以前から、鹿鳴越峠を越えるのが通例だった。鹿鳴越峠は、立石から東山香・中山香を経て長野に通じる東鹿鳴越道と、宇佐から安心院を通って山田につながる西鹿鳴越道の2つの峠道があった。西鹿鳴越道上のこの地からは、高崎山や別府市を望み、遠くは大分市も眺望できる。1551年、フランシスコ・ザビエルは、山口から険しい山道を経て大友義鎮(宗麟)の待つ豊後府内に向う際に、ここを通り、日出の港に来航したポルトガル船に乗り府内へ向かったとされる。