的山荘
的山荘は、大正4年(1915年)、馬上金山で巨額の富を築いた成清博愛が建てた別荘で、穏やかな別府湾を一望する約3,600坪の広大な敷地に、玄関の式台や床、書院などの座敷飾り、欄間彫刻など江戸時代以降の伝統手法を残した近代和風の豪華な日本家屋、そして別府湾や高崎山を借景とした見事な庭園が広がる。的山荘の名は、博愛が「的山」と号し、漢詩をよくしたことに由来する。「的山」には、鉱山を当てるという意味があるといわれている。的山荘は、昭和39年(1964年)に、成清博愛の孫にあたる成清信輔氏が料亭として開業し、城下かれいの料亭として全国的にその名が知られるようになり、皇族をはじめ多くの著名人が訪れるようになった。皇族の方々が大分にお越しの際は、的山荘がお食事場所として度々利用され、庭園内には8本もの記念植樹がある。1ヶ所にこれだけの皇族の記念植樹があるのは、全国的にも稀である。
松屋寺庭園
松屋寺はその前身を西明寺といい、日出藩初代藩主木下延俊が、慶長12年(1607)に祖母の朝日の方と妻の加賀の法名から「康徳山松屋寺」と改称した。日出藩木下家の菩提寺である松屋寺の木下家墓所には、歴代藩主(13代・16代を除く)や親族、家臣の墓52基が林立している。その数、規模、壮麗さは県内随一といわれている。本堂の前庭には、江戸時代より日本一と名高い大蘇鉄がある。この大蘇鉄は、明暦2年(1656)、府内城主日根野吉明が没すると、日出藩2代藩主木下俊治が城番を命じられ、翌3年の交代帰城の際、日出藩に持ち帰り植えたといわれている。蘇鉄は樹齢約650年ともいわれ、高さ6.4m、株元の周囲4.5m、枝の広がりは東に4m、西に6m、南に5m、北に5mの巨樹であり、雌樹で十数本の枝が株元から分岐している。国指定の天然記念物にもなっている。松屋寺の中庭には、日本名園の一つに数えられている雪舟の庭がある。これは、雪舟が大分の万寿寺での修行時代に、松屋寺に滞在し、この庭を造成したものである。