新庄城跡
234年間、歴代戸沢氏の居城であった。現在は、当時の堀や石垣を残して最上公園となっている。
新庄藩主戸沢家の歴代御廟所
瑞雲院、単層・宝形造り6棟がある。
鳥越の一里塚
羽州街道の一里塚があり,ブナの大木がそびえる。
柳の清水跡
昭和初期まで豊かな清水が湧き出ており、芭蕉もこの清水を飲みのどを潤したのではないかといわれています。そばには芭蕉の句「水の奥 氷室尋る 柳哉」を刻んだ句碑があります。
西山の丘
小磯国昭の墓碑・堤林数衛の胸像
新庄藩二代藩主の御廟所
戸沢二代藩主正誠の廟所,桂嶽寺。
角沢街道の丸仏
宝暦5年,天明3年の大凶作による多数の餓死者を葬ったところ。新庄まつりゆかりの地。
八向楯と芭蕉乗船の地
最上川に望む、八向山の上にある楯跡と俳人芭蕉が舟で最上川を下ったといわれる場所。
荷渡し地蔵
羽州街道成立以前の東根と楯岡の荷物の引継場所(荷渡し場)と伝えられ「穴明き石」が沢山ある。耳の病、百日咳を防ぐ神とされている。蔵王、朝日、飯豊、月山、鳥海、葉山一望できるのは、県内ではここだけ。
小田島(東根)城跡
小田島(平)長義が築城1600年頃里見景佐が城と城下町を整備した。大けやき(国指定特別天然記念物),堤堀が当時のおもかげを残している。本丸跡が現在東根市立東根小学校敷地にある。
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