しとどの窟
石橋山の戦いに敗れた頼朝が隠れたといわれる岩屋。大小20体余りの石仏が天然の岩屈内に並ぶ。
石橋山古戦場
源頼朝が平家方の武将大庭景親に敗れた古戦場。
石垣山
天正18年(1590)、秀吉が突貫工事で築かせた城で「太閤の一夜城」と呼ばれた。小田原城西方約3km、海抜261.1mの石垣山(笠懸山)の山頂にある。北条氏滅亡後、徳川麾下の大久保氏の管轄下、箱根を押さえる要害とした。「野面積み」で築かれた石垣も大半は崩れ去っているが、当時の構築技術を偲ぶことができるところも残っている。
土肥城址
実平は坂東八平氏の祖・村岡良文から六代目の子孫で、真鶴にいた父・中村宗平から土肥郷を与えられて館を構えた。湯河原駅のあたりがその館跡である。実平は治承4年(1180)の源頼朝の挙兵に協力したが、石橋山の合戦で敗れ小舟で房総に逃れた。実平は、この功で鎌倉幕府の重鎮になるのだが、その子孫は次第に勢力を争い、安芸国(広島県)に落ちて小早川姓を名乗る。戦国時代に毛利氏の名参謀となった小早川隆景はその子孫だ。
久野古墳群
4号古墳・15号古墳と呼ばれる横穴式古墳が復原されている。
源頼朝船出の浜
治承4年(1180年)8月28日、石橋山の戦いに敗れた頼朝が房州に船出した浜と伝えられています。夏は海水浴場として賑わっています。
鵐窟
源頼朝が石橋山の戦に敗れた時、この岩屋に隠れ難を逃れました。かつては高さ2メートル、深さ10メートル以上の大きさがあり、波が打ち寄せる岩窟でした。