小田原城
室町時代、西相模に進出した大森氏が築いた山城が前身。これを早雲が攻め取ってのち、北条氏の居城として関東に君臨した。徳川氏の関東入国とともに功臣大久保忠世が領有し、その子忠隣は改易、72年目にまた大久保忠朝に復した。その間、稲葉氏(稲葉正勝・正則)が近世城郭として整備、度々の震災で復興・改修を重ねた。現在は天守閣が昭和35年、常盤木門が昭和46年に復興、銅門が平成9年に復元。ほかに隅櫓などが復興されている。◎北条早雲(1432-1519)戦国大名。北条氏の祖。今川氏に仕え、伊豆を奪い自立。のち小田原に進出し、伊豆・相模を支配。後北条五代の基礎をつくった。◎北条氏綱(1487-1541)戦国大名。北条早雲の子。北条に改姓し、鶴岡八幡宮を再営、虎の印判を用い、新たな領国支配体制を整え、武蔵南部に勢力をのばした。小田原を居城とし、小田原の繁栄に尽くした。◎北条氏康(1515-71)戦国大名。北条氏綱の長男。関東管領上杉憲政を越後に敗走させ、武田・今川氏と外戚関係を作り上杉謙信に対抗。税制の改革や伝馬制の確立など民政にも優れた。◎北条氏政(1541-90)戦国大名。北条氏康の二男。武田信玄・上杉謙信らと抗争・和平をくり返しながら勢力拡大に努力。のち豊臣秀吉と対抗、小田原合戦に敗れ弟氏照とともに自害。◎北条氏直(1562-91)戦国大名。北条氏政の二男。隠居した氏政の家督を継ぎ、織田信長の部将、滝川一益を関東から駆逐、徳川家康と和睦するが、豊臣秀吉に敗れ高野山に追放。後に赦免され、1万石を与えられるが、大坂で病没。◎大久保忠真(1781-1837)江戸後期の大名(小田原藩主)。文政元年からその死まで老中をつとめ、また藩政では倹約令を出したり、学問所「集成館」を創設し人材養成に努めた。