身隠山古墳
標高130mの丘の上にあり,白山,御嶽の両円墳からなる。
多治見国長邸跡
多治見国長邸跡。県史跡指定。
長塚古墳
主体部粘土槨の前方後円墳。
馬籠城跡
馬籠島崎氏の祖である島崎重通の城が置かれていましたが、今は小高い丘がその城跡の名残をとどめています。
瑞浪一里塚
大湫町権現山・大湫町八瀬沢・日吉町奥之田・日吉町鴨ノ巣の四箇所。瑞浪のように連続した4箇所の一里塚が残っている例は全国的にも稀。
土岐頼兼の墓
東濃に生れて後醍醐天皇の討幕の計画を受けて多治見国長らと京都へ上がったが、幕府側に事前に漏れてしまい、六波羅探題からの襲撃をうけて打ちとられた。京の三条河原(さんじょうかわら)にさらされた首級を、家臣の根竹十郎がうばいとり故郷に逃がれて葬ったのち自刃した。
土岐頼貞の墓
東濃に執権北条氏の姻戚として出生し、後醍醐天皇の勅命に応じて足利尊氏とともに六波羅探題を討ち、鎌倉幕府滅亡に功をあげる。また建武の新政に不満をおぼえた尊氏が挙兵するとこれに従い、室町幕府より美濃守護を命じられ、「土岐絶えば、足利絶ゆべし」と称された武将。 現在の墓は道路を挟み東西に分かれている
大井宿本陣跡
正門は懸魚カエルマタの様式で江戸初期の建築で、県の重要文化財に指定されている。街道から見る正門と松の風情はかつての中山道大井宿をしのばせてくれる。(内部は非公開)
泳宮
景行天皇が美濃に行幸されたとき、仮宮とされたのが現在の泳宮です。滞在中に八坂入彦命の娘を見初め妃としたと伝えられています。
大森城址
戦国時代の山城である。
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