坂本
延暦寺、日吉大社の門前町として栄えたところで、穴大衆と呼ばれる石工集団の手による「穴大衆積み」という石積みと、延暦寺の高僧の隠居所である「里坊」が50以上残る歴史の町である。日吉大社、西教寺、滋賀院門跡といった大社寺が多く、見どころがつきない。
尾花川
旧大津町北方の西近江路沿に細長く集落を形成する。かつては半農半漁を中心に生活が営まれ、江戸時代には道に面する両側の民家の背後は、舟入りと琵琶湖で囲まれ島状を呈していた。元禄11年の記録によると81軒の民家があったと推定されている。
下阪本
西近江路と比叡山延暦寺への参詣路との分岐点に位置する町並み。近世初頭には坂本城城下町、徳川幕府になって再び宿場町・農村として発展した。
膳所
徳川家の譜代本多氏の城下町膳所の町並みを今に残すのは、中庄2丁目周辺の土塀。膳所城は1870年廃城となり、現在は城跡公園となっているが、膳所神社、篠津神社などに、膳所城の各門が移築され残る。膳所には、遠州七窯のひとつとして始められ、350余年の歴史を持つ膳所焼があり、現在、膳所焼美術館で作品が見られる。
葛川
京・近江・北陸に近距離で結ぶ若狭街道、俗称「鯖街道」の途中に栄えた山村集落。一方、古来から信仰の山「比良」の登山口としても発展した。集落は伝統的な茅葺民家が散在的にみられ、山と清流の豊かな自然景観の中に町並みが形成されている。
堅田
琵琶湖岸に位置し、平安時代から中世にかけて航行権や湖水利得の独占権を有し、大いに繁栄した。町は湖水を引いた堀割で区画され、一種の環壕城塞都市であった。町並みは浮御堂、本福寺、祥瑞寺を中心に伝統的景観をとどめ、繊細な格子の平入家屋の並ぶ一画や、対照的に台格子の妻入家屋の集まる一角もある。
山中
京都北白川と大津市滋賀里を結ぶ山中越の街道途中にある山村集落。現在は街道沿いに旅篭屋風建物・石仏・石燈篭・鳥居・虫篭窓をもつ民家など歴史的建造物が残る。