七日町通り
毎月7の日に市が立ったところから名づけられた町で、城下町の中心、大町四ツ角を起点とした会津五街道のうち、越後街道、米沢街道、日光街道が通る、西の玄関口でした。
野口英世青春通り
世界的な細菌学者の野口英世が幼年期に手の手術を受け、のちに医学を学ぶために青春時代を過ごした町でもあります。
蔵のまち
明治・大正頃盛んに建てられた,酒蔵・米蔵・繭蔵・漆器蔵・蔵座敷・店蔵・廁蔵などの総数は2,600棟という。市街の中央通り、南町通りを中心に蔵並が形成されているほか,北郊の三津谷には赤レンガ造りの蔵が,また杉山には茅葺,白壁の古風な蔵が多い。三津谷へはバス15分,杉山へはバス20分。
塔寺・気多宮宿
慶長16年(1611)の大地震によって越後街道の勝負沢峠が通行不能となり、新たに鐘撞堂峠を開削し、その新道に設けられた宿場。ここの宿は両側が山と崖なので地割は相当窮屈、裏の付属家も屋敷いっぱいに建てられている。明治初年頃には半切妻中2階が加わる。
桐の里みしま工人郷
ものづくりをする工人が、自宅の工房をギャラリーとして開放。ヤマブドウやヒロロ細工、マタタビ細工といった手作りのバッグや笊、籠のほか、写真や書道などの芸術作品を並べるギャラリーを含め、35件余の工房が町内に点在している。春と秋に宮下地区で、「宮下てわっさの里まつり」が開催される。