坂戸城跡
南北朝動乱期、上田長尾氏の本拠となり、戦国時代上杉氏の関東口守備の番城として重きをなした。
浦佐城址
浦佐の西裏、毘沙門堂の前にそびえる標高300mの尾根に所在する城址である。城下の三国街道、魚野川の舟運を瞰制する重要な戦略上の拠点として、戦国時代に築かれた城である。
樺沢城跡
樺沢城は「御館の乱」では北条軍侵攻の最前基地で上田口攻防の拠点となった古戦場です。四季折々野の眺望を満喫できる本丸跡は標高304メートルにあり、往時の上田庄等が一望できます。城郭は帯曲輪が二重に取り囲み、中腹以下を三重四重に空堀と土塁が鉢巻き状に取り巻く堅固な築城(囲繞堀)で、県下では他に例がありません。遊歩道散策で草花を眺めるなど、幼児から高齢者まで、年齢相応に史跡公園の雰囲気が楽しめます。
新潟県南魚沼市樺野沢
(2) 関越自動車道「塩沢石打IC」から車で
六万騎城跡
大規模な城郭を残す峻険な山城。天文年中、福島大炊介政為の居城と伝えられる。上杉景勝会津移封とともに廃城となる。
雷土城址
別名板木城址と称し、標高357mの尾根上に築かれており、北は小出盆地、南は八色原の扇状地を眼下におさめ、上田、藪神の両庄を瞰制する要衝である。
桐沢城址
標高478m、八色原扇状地の要に位置し、北に雷土城、南は大崎を窺う要衝である。南北朝時代に築かれたと伝えられ、上杉氏の家臣楡井氏の居城が伝えられている。
節黒城跡
南北朝時代の正平7年(1352年)武蔵国(埼玉県)小手指が原の戦いに敗れた新田義宗が越後に退いたときに築城したと伝えられているが、現存するものは昭和48年の遺構発掘調査の結果、室町時代の末期(1505年頃)に上野氏が改修構築したものとみられている。
沖ノ原遺跡
古くは代官清水遺跡と言われていた遺跡で、昭和47年より2年にわたり発掘調査が進められた。縄文中期の円形竪穴住居址をはじめ一辺10mあまりの長方形大形家屋址などが、広場を囲むように配置されていた。これを環状集落と言い、その直径は120mもある大規模な遺跡である。沖ノ原遺跡は雪国の縄文文化を考える上で極めて重要な遺跡であり、昭和53年には国史跡に指定され保存。出土した火焔型土器を始め1,686点が平成7年に県文化財(考古資料、指定名:沖ノ原遺跡出土品)に指定された。