村上家住宅
国指定重要文化財。村上民俗資料館として一般に公開されている合掌造り民家。1重4階の基本的な型式をよく残し、民俗資料のほか、煙硝製造用具・和紙製造用具などを展示。
武田家住宅
武田信玄の弟逍遥軒信綱の末裔と伝えられ、代々肝煎(庄屋)を務めてきた家柄。およそ200年前の建物で、間口、奥行きともに21m、建築面積443平方mに及ぶ大規模なものである。国の重要文化財建造物。
羽馬家住宅
上梨とは庄川をはさんだ対岸、田向の集落にある。正面8m、側面11mと規模は小さく、木割も細い。五箇山民家でももっとも古い遺構で、江戸初期の建築と考えられている。間取も基本形をよく残し、改造も少ない。内部の見学はできない。
岩瀬家住宅
国指定重要文化財。加賀藩塩硝上煮役の旧家で、五箇山最大の合掌造り。夏は塩硝、冬は和紙作り・養蚕も行われ、35人もの大家族が生活していた家である。
流刑小屋
加賀藩の現存する唯一の流刑小屋。わずか10平方mの牢獄には、罪人の悲しい魂が漂っているようだ。上梨対岸の急傾斜地にあり、当時は庄川に橋がなく、“篭の渡し”にたよっていた。
放生津の湊橋
東と西の人たちが渡船により往来していたが、文政4年の放生津大火で多数の焼死者を出した事は橋がなかった故、後に藩は長さ30間(55m)・幅9.5尺(2.9m)の板橋をかけた。これを世間では「お助け橋」と云った。
御旅屋門
加賀藩3代藩主前田利常公が、鷹狩りの宿として造営した「御旅屋」の正門。5代藩主綱紀公まで使用され、現在は永安寺に移築されている。この門から当時の建物全体の豪壮さがうかがわれる。
旧中嶋家
江戸時代の砺波の標準的な民家。
福野高校巌浄閣
明治時代に建てられた洋風建築の高校校舎。
棟方志功福光住居鯉雨画斎
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