三十三間堂(蓮華王院)
長寛2年(1164年)、後白河法皇の発願により平清盛が造営したが、建長元年(1249年)焼失し、文永3年(1266年)に再建された。千体仏を安置するための細長い平面であり、母屋で数えると三十三間あることから三十三間堂とよばれる。
京都府京都市東山区三十三間堂廻町657
(3) 京阪本線「七条」駅下車から徒歩で
清水寺本堂
世にいう「清水の舞台」。寄棟造・桧皮葺きで崖に立つため、139本の柱に支えられている。江戸時代の再建だが、もとは坂上田村麻呂が長岡京の紫宸殿を賜わったものとされ、寝殿造風の豪壮優美な建物だ。舞台からは市街を一望。
銀閣寺(慈照寺) 銀閣(観音殿)
銀閣寺にある。垂直に刈り込まれたツバキの生け垣を抜け、中門をくぐると右手にそびえている。上下2層からなり、屋根は宝形造・柿葺きで、金銅製の鳳凰が頂きを飾る。心空殿と称する書院造の下層と、潮音閣という仏殿風の上層からなる。上層には観音像を安置している(内部非公開)。
八坂の塔
高さ約40mのこの塔は、東山一帯の影観に欠かすことのできない優美な姿である。この辺りに住んだ高麗の渡来人八坂造一族の氏寺として創建され、八坂寺と称して南大門、金堂、講堂などを備えた大寺であったが、今は五重塔一基、太子堂、薬師堂だけを残した建仁寺所属法観寺である。現在の塔は、永享12年(1440)将軍足利義教によって再建されたもので、江戸時代、明治時代に修理されている。内部須弥壇には、大日、釈迦、阿閃、宝生、阿弥陀の5如来が安置され、周囲の扉に諸菩薩の彩色画像が描かれている。重要文化財に指定されている。
東福寺三門
嘉禎2年(1236年)創立と伝えるが数度の火災にあい、応永20年(1413年)頃まで再建作業が続けられていた。5間3戸の楼門。重層・入母屋造・本瓦葺き。現存最古の三門といわれている。(通常非公開)
下鴨神社(賀茂御祖神社)東西本殿
現在の東西両本殿は文久三年(1863)に造替されたもので、流造の典型的な遺構である。
上賀茂神社(賀茂別雷神社)本殿・権殿
中央にあり、ともに文久3年(1863年)の改築である。様式は下鴨神社の本殿と同じ三間社流造である。権殿は本殿が非常の場合に神儀を行う御殿で、調度品まで本殿に準じている。
京都府京都市北区上賀茂本山339
(2) 市バス・京都バス 「上賀茂神社前」・「御薗橋」・「御薗口町」
銀閣寺(慈照寺)東求堂
文明18(1486)年、西芳寺西来堂を範として建立された。内部は持仏堂と草庵茶室の源流といわれる同仁斎その他の4室より成る。木割は細く、清楚な建物で西外面に腰掛状のトコがあるのは興味深い。一般公開はしていないが前もって往復はがきで申し込み、許可された場合に限り拝観できる。
南禅寺方丈
大方丈と小方丈に分かれており、大方丈は豊臣秀吉が寄進した御所清涼殿を1611(慶長16)年に移建したものといわれる。狩野永徳作という襖絵と仏門には聖観音立像が安置される。小方丈の金襖には狩野探幽作と伝わる竹林群虎があり、約40面のうち「水呑みの虎」の図はとりわけ有名。
大徳寺唐門
切妻造、桧皮葺の四脚門で聚楽第の遺構と伝える。前後に軒唐破風が付けられ獅子・松・孔雀・滝に鯉などの装飾彫刻が豊富に施されている。桃山時代特有の絢爛豪華な建築である。非公開。10月第2日曜日には寺宝が一般公開される。
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