山形城跡
斯波兼頼が延文2年(1357)創築したと伝わり、その子孫最上義光が出羽半国を制覇後、文禄年間(1592〜95)大城郭に修築した。元和8年(1622)最上家改易後、城主は老中クラスの譜代大名十三氏がめまぐるしく交代した。城の建物は明治維新後に解体されて、現在は堀と石垣を残すのみであるが、城跡につくられた霞城公園には桜の老樹が多く、市民の憩いの場になっている。また、平成3年3月に二の丸東大手門が復原された。◎最上義光(1545-1614)山形生れ。戦国時代の武将。山形県(置賜地方を除く)・秋田県の大半を領し、石高五五万石。現在の山形市の基礎をきづいた。
上山城(月岡城跡)
月岡公園にある。1535(天文4)年武衛義忠により築城。何度か取り壊されたが、昭和57年に再建された鉄筋コンクリート造の昭和の城。3層4階の城内は古代から現代に至る上山の歩みを紹介。最上階は展望室になっている。
天童城跡
山形の戦国史の登場する天童城(舞鶴城)は最上頼直が天授元年(1375)に築城。その子孫が天童氏を称して累代在城するが、天正5年(1577)頼久のとき宗家の山形城主最上義光に攻略され落城、廃城となった。天童藩の城は天保元年(1830)織田信実が高畠から移って舞鶴山麓の平地に築いたが、館形式のものだった。慶応4年(1868)閏4月4日、庄内藩軍の攻撃をうけて落城した。
山形城三の丸跡
国の指定史跡となっている「山形城跡」の一部。歌懸稲荷神社境内に土塁と濠の跡が残っている。
嶋遺跡
古代集落跡。土器(土師器・須恵器)、木製品などの出土品あり。
大ノ越古墳
石棺が二つ重なって出土し、環頭の太刀が発見された。
谷柏古墳群
古墳後期のもので、25基ほどある。
高原古墳
市の北東部に位置し,古墳時代後期の古墳で一部保存されている。
菅沢古墳二号墳
山形市の西南部、市の史跡に指定されている菅沢山古墳群の一部。東北でも最大級といわれる円墳。
菅沢山古墳群
山形市の西南部に位置する古墳群。5世紀から6世紀の造営が考えられている。
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