原城跡
明応5年(1496)に有馬貴純が有明海に面した「原の島」という岬に日之江城の支城として築城。天正年間(1573-91)に城下はキリシタン布教と南蛮貿易で活況を呈したが,日之江城主有馬晴信が慶長17年(1612)に岡本大八事件に連座して配流・切腹となり,その子の直純も2年後に日向県城に転封となった。元和2年(1616)に原城に入った松倉重政は一国一城令に応じて廃城としたが,その跡地が島原の乱の舞台となった。有馬城・日暮城ともいう。現在,本丸付近の石垣ぐらいが残る。本丸跡に十字跡と天草四郎像が立っている。◎有馬晴信(1567-1612)キリシタン大名。大友宗麟・大村純忠と共に少年使節をローマに派遣。長崎でのポルトガル船焼打ちののち,岡本大八事件に連坐し,甲斐に流罪となり切腹。
大黒天像
自然石に線画でかかれた磨崖仏像温泉山仏教文化のなごり
大師堂(理性院)
からゆきさんゆかりの文物が数多く残り,天如塔がそびえる。
三十番神(護国寺)
藩主松平忠俔が京都の名のある刀匠三十人に1人1体の番神像を刻ませたもの。
沖田畷の古戦場
有馬・島津連合軍と竜造寺隆信の戦跡。墓標が建つ。
旧島原藩薬園跡
1842年,シーボルトの門人賀来佐一郎を招いて開いた薬草園で約200種を栽培。日本三大薬園の一つ。
礫石原環状石組遺構
縄文時代晩期の埋葬祭祀共同体を標式する重要な遺構。
十六羅漢像(本光寺)
本光寺の実山和尚が、伊吹山の石材を運び、領内の石匠に刻ませたもの。
今村刑場跡
明治3年に廃止されるまで,残虐な方法で多くのキリシタン信者や罪人が処刑された。
首塚
島原の乱で首をはねられたキリシタンの首をうめたといわれる。
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