武蔵陵墓地
天皇御陵としては関東で唯一のもの。大正天皇陵(多摩陵)、貞明皇后陵(多摩東陵)、昭和天皇陵(武蔵野陵)、香淳皇后(武蔵野東陵)を合わせ全体を武蔵陵墓地と言う。甲州街道からの参道には、都内でも有数のケヤキ並木が続いている。また、陵墓地内にはこの近辺では珍しい北山杉が植えられ、荘厳な雰囲気が感じられる。
東京都八王子市長房町1833
(3) 高尾駅南口からバスで
分倍河原古戦場
新田義貞と鎌倉北条氏との天下分目の戦場跡。
八王子城跡
東海道の要衝を占める本城小田原に対し,甲州街道のおさえとなった八王子城は,天正6年(1578)頃,北条氏照の築造が始められた。未完成のままに北条氏の滅亡を迎えて廃城となった。広大な縄張をしめす山城で,本丸のある中心部と山麓居館跡が主な遺構。
東京都八王子市元八王子
小仏関跡
旧甲州街道の関所跡。駒木野関ともいい石碑が残る。与謝野鉄幹が小仏関を訪れた時に詠んだ歌が碑の裏に刻まれている。
深大寺城跡(都立神代植物公園・水生植物園内)
天文6年(1537)川越城主扇谷上杉朝定が,小田原の北条氏綱の北進を阻止すべく,部将の難波田弾正に命じて構築させた。だが,同年7月6日,氏綱は深大寺城を無視し,直接,川越を攻めるという挙に出た。難波田ら城兵は急ぎ川越へ軍を進め,朝定と合流して戦ったが敗れ,城は北条氏の手に落ちた。
滝山城跡
大永元年(1521)関東管領山内上杉氏の重臣大石定重が築いた。大石氏は高月城を本拠としていたが,小田原北条氏の台頭などから同じ丘陵沿いのこの地に縄張を移動した。天文15年(1546)上杉朝定が川越夜戦で北条氏康に敗れると,時の城主定久もその軍門に降って城を明け渡した。城主となった北条氏照は,のちに本拠を西方の山岳にある八王子城に移したため廃城となった。
弁天洞窟
全長65mの迷路状の洞窟。明治時代に横穴墓を掘り拡げてつくられた。弁財天・大黒天など多数の石仏を安置する。
片倉城跡
現在は城址公園になっている。郭,土塁,空堀などの遺構は,深大寺城と縄張が似ているといわれ,15世紀後半,山内上杉氏と連合して古河公方足利成氏に対抗した扇谷上杉の家臣長井氏によって築かれたと推定されている。しかし,この城について歴史的にはほとんど解明されていない。
立川氏館跡
鎌倉中期から南北朝にかけてのこの地の豪族の館跡で土塁がわずかに残る。
高札場
中世末期から江戸時代にかけ「法度」「掟書」などを高札した所。
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