気多大社
古代から日本海域の総守護神的性格でその社勢を誇っている。
源平倶利伽羅古戦場
富山県小矢部市との境にある旧北陸道の倶利伽羅峠を舞台に,4,500頭の牛の角に松明をくくりつけ,平家の陣へ追い入れる,木曽義仲の「火牛の計」が展開された所。この戦法により,平家の軍勢は地獄谷へと転げ落ち,義仲は上洛の道を進みました。
臼ヶ峰
御上使往来(万葉ルート)として知られている。現在は山頂緑地公園として夏はキャンプ,秋は紅葉やハイキングコース。
唐戸山相撲場
砂丘の斜面を自然の桟敷として利用した相撲場。羽咋神社祭神の追善相撲場。相撲資料館併設 毎年9月25日には2000年の歴史をもつ神事相撲がおこなわれる。
高浜虚子・年尾、父子句碑
室生犀星の碑のほど近くに2人の句碑がある。金沢は俳句の盛んな町であり,この句碑もまた,「ホトトギス」系の「あらうみ会」の皆さんによるもの。「あらうみ」を主宰していた杉原竹女は,虚子の弟子でもあった。
千代尼塚
加賀千代女の墓。松任市に生まれ一生を俳諧に貫いた。
御廟谷
加賀国守護職富樫一族の墓と推定される。
住吉の宮
加賀の国司富樫忠頼が石川郡武松に社殿を造営したのが始まり。
津幡城跡
寿永2年(1183)倶利伽羅合戦の直前,この砦に平家が布陣し,建久元年(1190)加賀国井上庄の地頭都幡小三郎隆家が拠り,観応2年(1351)には,南朝方の桃井直常が上洛するのを,富樫氏春がここで阻止した。天正4年(1576)には,一向一揆のポイントとなり,謙信の攻撃を退け,同9年,織田軍が城将亀田小三郎を破った。同13年(1585),城を修築したのが,利家の弟秀継。一子秀利と共に佐々成政の攻撃に備えた。
峨山禅師生誕地
北陸の曹洞宗の中心人物となった名僧,峨山禅師の生誕地。総持寺,永光寺の住職を兼任すると,永光寺の朝の勤行を済ませ,そのままおよそ60kmの道のりを歩いて総持寺の夕べの勤行に間に合わせ,それが終わると朝までに永光寺に帰るという,精力的な求道を20年あまりも続けたと伝えられる。
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